退職前後の事

okamakoto2007-12-20



丁度9月決算前のことである、兎も角、支店の成績の成否は実質得意先係長の責任である、決算だけは良い成績を挙げ有終の美を飾ってやろうと固く心に決めた、部下にも叱咤激励、率先して早速幾つかの仕事上の懸案解決にも努めた。


支店長への意思表示は決算見事目標達成の翌日、10月1日早朝、懐から辞表を出し「勝手ですがお願いします」と差し出した。全く予期せぬ様子で顔色を変え「何故だ、お前はこれからの人間ではないのか」等々、以降色々の形で慰留され、約半月閑は机の中に伏せられていたようだ、ただ変心はないと判断され、約20年の銀行生活に終止符を打つ事となった。


尚、銀行規定で辞表受理から1ヶ月間の待機期間が決められていて10月末までの1ヶ月は通常どおりの勤務を義務付けられていた。従ってその間は正直「針のむしろ」で、早朝から担当部下と得意先を表敬しながら担当者への今後の協力をお願いに廻った、然し「退職する」とは口にはしなかった。


その間銀行首脳部諸氏から公私に亘って硬軟の働きかけが自宅妻にまで連絡が入り「思い留まるよう」説得を受ける日々が続いた、特に妻の母親の弟(叔父)が当時は札幌代表店長で、その後直ぐ本部部長となった人格者で人望ある人でその誠実な説得には正直電話の前で平身低頭していた。


得意先の中には自分が何度も訪問してようやく取引に至った上場の大手の会社もあった、日頃、財務部長から「君が余り熱心だから無理に取引をしているんだぞ」、といつも脅かされこれを機に取引が引き揚げられるおそれの先もあった。


最もショックだったのは愈々退職する前日に、日頃店でも最も人気のあった支店長付き若い女性社員から「私物以外持ち帰らぬよう、顧客の名刺や資料とそれに貴方の使い残した名刺も残らず返してね」と、実に言いにくそうに床に目を落とし告げられた事だった。役目がらの指示ではあったろうが彼女の目から涙が落ちていた光景は今でも目に浮ぶ。