有難かった最初の職場


人間の基本は最初の職場で作られるものだと思う。社会人として最初に入った銀行は大変素晴らしい先輩や同輩に恵まれ楽しい職場だった。特に雪深い田舎の農家に生まれ姉妹の中に男一人だったせいで、未熟の時代に首都東京で勤務・生活出来た事は今思っても素晴らしい幸運な事だった。


敗戦後の没落地主で大学進学出来なかった分を勤務の傍ら夜学への路も与えて頂き理論と実戦の両面でも教育の機会を頂いた事は今では考えられないのではなかろうか、加えて名古屋、北陸の中都市等を経て・再度都内勤務経験を得たことはこれまた素晴らしい体験であった。


時代がそうさせてしまったのか最近はどの職場も厳しい環境となって、人間関係も厳しいと聞くと、自分の我儘から勝手に辞めたにもかかわらず今も多くの方々と親しくお付き合いさせて頂いている事だけでも有難い事と感謝の念を強くしているところだ。


その人生の親元を勝手に辞めてから早くも40年近い37年も経ってしまい,勝手ながら「歴史の一こま」と考えました。その後色々な試練を重ね波乱を乗り越えながら今日に至りましたのも「幸運」と「奇蹟」だったろうと思います。偏に支援して下さった数多い恩人と、加え、終始支えてくれた妻子にも改めて頭の下がる感謝の思いを強くしています。


喜寿を迎えた今、振り返って正直「裏切られた」と恨みに思った時期もありましたが、今は夫々に得難い恩人だったと思うようになっています、逆にこの機会にご迷惑をお掛けした方々には心からお詫びを申し上げたい。兎も角家族四人今日まで生きられた事に感謝している日々です。