2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

投票に行こう

政治の話に戻る、6月27日日経夕刊によれば若者達が連携し合って「選挙に行こう」とネット等で呼びかけ合っていると読んで大変心強く思っている。 7月3日に都議会議員の選挙がある。政治を変えるには先ず選挙で投票することだ。 政治を市民に取り返さねばこの…

病院のあり方

ところで、4万人くらいの人口しかないこの市の総合病院内科棟で、夜勤につく看護婦さんがたった3人、器械や管に取り囲まれた病室で、一夜それを見ていてその忙しさには感心してしまった。 と同時に、スエーデンの病人対応のことを思い出した。 昨年訪問した…

生き返ってくれた妹

話は変わるが、実はつい先日、田舎で入院の妹が急に容態が悪くなったので近親者共々北陸へ駆けつけた。総合病院の集中治療室で時折心臓停止もあったりし、自分も思わず手を握って「俺より若いのにしっかりしろ」と励ましたりした。 そのうち、両手を持って幼…

どう生きるか

昨年の丁度今頃、25年ぶりで北欧のスウェーデンへ行った折に感じた事、それは、あの国の政治家は一般国民・職場から選ばれていて、それも半分は女性である。熱心でそれも常識的な政治をやっていた。 スウェーデンが、過去百年の間、戦争に無関係なのも、理想…

「良い国にする」には、結局「政治」

ところで、気のせいか世の中が「殺伐」として来ているのではあるまいか、事件も多いし人との関係もとげとげしているように思える。日本人同士の助け合いとか思いやりの気風が失われ、第一、国の未来への希望がない事が大きいと思う。 結局、政治の問題だと考…

この日記、「3合目」

正月以来始めたこの日記も何とか今日で6ヵ月を経過した事となる。当面の目標とした「3合目」くらいまでは、兎も角到達したのかな、の思いだが、正直、中味については「恥ずかしい」の一語に尽きる。

「第三次敗戦」

更に現在は、最終的な「第三の日米戦争」のような気がする。焦土と化した日本に、占領軍が進駐して各所を接収した時の再現のように米国資本は、経済的に「焼け跡」と化した日本に乗り込んで来られ、戦後営々と築き上げてきた優良資産を、片っ端から奪い取ら…

「第二次敗戦」

「第二の日米戦争」は、既述したように「円対ドル」と言う「マネー戦争」で、国民の目には直接見えない「所得移転」の戦いだけに、大変始末の悪い敗戦結果だが、実質的な損害は第一次敗戦に勝るとも劣らない甚大なものだ。 実は現在の日本の累積財政赤字が約…

「第一次敗戦」

最初の武力での「日米戦争」は1945年(昭和20年)8月15日、日本の敗戦で終わったが,この「第一次敗戦」で日本は人的にも物質的にも(領土や精神面でも)有史以来の被害と打撃を蒙ってしまった。あれから今年で丁度60年経った。 天皇が過日、今はアメリカの施政…

金融機関の破綻

金融機関の破綻も相次いで明らかになる、95年のコスモ信金.兵庫信金・木津信金の破綻に始まり、続く住専問題では財政支出の6850億円の予算支出をめぐり農協の経営問題とも絡み「住専国会」と言われる大問題となった。 更に97年には日産生命、山一証券、北海…

「不良債権」

更に、銀行の1億円の担保が半値にしか売れないとなるとどうだろうか、借入金の元金、1億円は変わらない、担保の不動産売却5千万と元金5千万で合算しても後には何も残らなくなってしまうのだ。借入金の1億円は銀行では完全な「不良債権」なのである。 「…

「円高・ドル安」

銀行から1億円を借りてアメリカ国債を@200円で50万ドル分を買っていたとしよう、バブルが破裂して銀行から返済を迫られ、実際売りに出した時に対ドル相場が@100円だったとすれば(利息や損害金は、抜きで)手取り額は5千万円でしかない。 「プラザ合意」…

「返せ」の銀行

つい先日まで、揉み手で「借りて下さい」「お貸しします」と言っていた銀行が、一転して「債鬼」となって「返せ」「さもなくば競売に付すぞ」、と取立てを迫るようになったのである。 (写真はEUのもう一方の主要国、東京・麻布の「ドイツ」大使館)

消えた「泡」

それによって「土地神話は崩れ」90年代日本の土地の評価額が一時アメリカの4倍にも達する2400兆円にも達したのが瞬く間に半値にまでになってしまった。日本の不動産の累積キャピタルゲインが、一時、1420兆円もあったのが正に「泡」のように消え去ってしまう…

一転「引締め政策」

「日米構造協議」は、土地政策・余暇不足等一面世論の支持する側面もあって、マスコミもそれを誇大に取り上げた事もあり、且つ、バブルの弊害が放置できる状態にない状況となった事から、一転して政府・日銀は「引締め政策」に転じた。今度は公定歩合をごく…

「借りて下さい」

銀行は担保になる不動産さえあれば、客に借入を勧め、与信の供与に狂奔した。「土地神話」もあったが、当時は借入れに応じない向きは、むしろ愚鈍と見る風潮さえもあった。 当時の税制もバブルを引き起こす要因であった。路線価は実勢価格のほぼ半値で、相続…

バブル発生

1980年代をもう一度振り返ってみたい。バブル発生は、プラザ合意に基づく急激な公定歩合の5回にわたる2.5%までの引き下げ、この史上最低水準の「超低金利」を実に2年3ヶ月もの長期にわたり続けたことが、先ず原因の第一に挙げねばなるまい。 加えて19…

「日本従属」の固定化

その意味でも、当時の日本の政府高官がいみじくも危惧した通り、日米構造協議、及びその後のフォローアップこそは、正に、その後の日本のアメリカ従属を決定的とし、固定化させる歴史的分岐点となる重大なものだった。 (写真は東京・麻布の、豪壮な森の一画…

日本とアジア諸国との離間策

弱体化するアメリカは、経済的にも台頭する中国及びアジア諸国と日本が協力し合って強大な経済圏をつくることをその後も怖れ続けている。アメリカは終始日本と中国及びアジア諸国を離間させる事に戦略の重点を置いているように見える。 前述したように70年代…

挫折した「宮沢構想」

これに、いち早く反発したのがアメリカである、「米国抜きのアジア諸国の結集」こそアメリカの最も恐れる「日本の台頭」「アメリカ離れ」と映った。即刻、火消に走った、日本政府、外務省は「マハティール構想」に「組せず」と、即座に表明したのである。 91…

「東アジア経済圏構想」への反発

同時にアメリカにとって最も強い関心を抱いていたのが、世界第2位の経済力を有する日本、及び周辺アジア地域だったろう事も容易に想像できる所である、もしそれに成功すれば太平洋を挟んでの巨大な経済圏が出来上がり、EU連合にも充分に太刀打ち出来るだろ…

弱体化するアメリカ

一方、アメリカ経済はレーガン政権下で巨額の財政赤字と貿易収支の「双子の赤字」で、85年以降は純債務国に転落していた。このままではドルの基軸通貨としての地位は勿論、単独での世界の盟主としての座は保持し得ない局面であることは誰が見ても明白であっ…

EU統合とアメリカの世界戦略

「日米構造協議」がアメリカ(当時のブッシュ大統領−父)から提起された89年、更には90年代とは、一体世界情勢がどのような時代であったのか、その中で日米両国が置かれた立場はどのようなものであったのだろうか。 ヨーロッパでは90年代にはEC諸国の経済…

将来への「杞憂」

「今回の協議は、長い日米の歴史の中で大きな転換点となるかもしれない.つまり、今回の協議で、アメリカ側は日本の予算編成や法改正に対して、逐次発言できる仕組みを手にしたのだ。その事はある意味では日米と言う二大経済大国が、経済面でより一体化して行…

今も継続している内政干渉

事前に対日戦略を研究済みのアメリカは、この手法で内政干渉をほしいままにする。アメリカ財務省ダラーラー次官補は会議終了に際し、「最終報告が成功裏に取りまとめられた事は、内閣の当面する最重要課題の一つとして本件に積極的に取り組んで来た自分とし…

日本を変える手法

官僚は政府が同意した方針には従わねばならない、「法治国家」の法律は、「法制局」を含む官僚任せが実態なのである。残念ながら、殆どの日本の立法府政治家議員は不勉強であり、法律には疎いのである。 政府決定事項としてしまえば、各省庁の利害関係や抵抗…

応用される「フォローアップ制度」

この手法はその後、竹中平蔵氏が「経済戦略会議」でそっくり応用している。既に見たように小渕内閣で樋口広太郎委員長の下で、10名の委員の一人として起用された竹中氏は、取りまとめの中心的役割を果たし、「日本のアメリカ化」に奮迅の活躍をし、それを機…

アメリカによる事後点検

事後点検の目的は、勿論「日米構造協議」で約束した事を双方で確認しあう事である。 然し、この事は会合の機会を通して、広範囲に亘るその時点での経済的な懸案の諸問題がアメリカ側から日本に突きつけられると言う事でもある。 アメリカ側にすれば「事後点…

「事後点検」受け入れ

上記の通り、国際間の協議では全く前代未聞の事ながら、初年度で3回、その後は年2回、春秋に「フォローアップ委員会」を定期的に開催「事後点検」を受け入れる事も併せて合意したのである。アメリカはこのことに最後までこだわった、と言われる。 この事は爾…

将来に亘る約束事項

1. 公共投資は下水道や公園など、所謂生活関連分野に重点を置き、社会資本の整備を着実に進めていく。向こう10年間の投資総額を過去10年の1・5倍を越える430兆円とする。又JR,NTTなどの設備投資に就いて、公共投資に準ずるものとして25兆円を見込む。…