2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「災難は忘れた頃」

帰りは「ほくほく線」越後湯沢経由、乗り換えの新幹線をやり過ごし、湯沢駅の外へ出て、白銀の連峰を眺めつつ、過般来の新潟地震や、例年にない豪雪被害を想った。 この付近は想像を絶する苦難に遭ってきている、狭い日本だが「明」と「暗」は隣り合わせ、何…

姉の骨折

退院して直ぐに金沢の姉が「骨折で入院した」との連絡が入り、見舞いをも兼ね、一夜北陸に足を伸ばした。 「家の前で転んだ為」というが、長男の病院に緊急入院し直ぐ手術してもらって何とか大事には至らなかったようだ。 齢を重ねると言う事は仕様のないも…

万華鏡

手術は、随分長く感じたのだが、実際はほんの15分程だったそうだ、その間「万華鏡」のようにきれいな虹彩の光景を見た、多分、レーザーメスのせいだろうと思うのだが、この「非現実的輝き」は実に鮮烈だった。 自分の人生は「波乱万丈」であった、それこそ「…

「明」と「暗」

「過去は思い出すまい」と思っていたのに、「我が家の功名が辻」で女房の事を書き出し、その勢いで過去の一端を記した。 今更、時計の針を元に戻し、回想に耽っていても始らないので、ここで過去を締め括り、来月からは又新たな気持で出直そうと思っている。…

調和ある交通体系を

先般ヨーロッパを視察した折、幾つかの国の政策は実に示唆的であった。西ドイツの各都市では郊外の鉄道駅やバスの出発地点に公共マイカー駐車場を整備し、そこで公共輸送機関に乗り換える「パークアンドライドシステム」を徹底させていた。 ミユンヘンでは、…

車社会がもたらすもの

ここで考えなばならないのは「車の作りっぱなし、売りっぱなし」に対する後追い的な公的整備が、逆に又車を呼び込むと言う「悪循環の連鎖」を起してはいないだろうか。 今回の駐車場大量整備(及び道路建設)も同じ愚を繰り返す事にはならないか、狭く資源のな…

―「公共交通重視へ政策転換を」―提言(平成2年)

警察庁が違法駐車や青空車庫車を追放するため、道路交通法などの改正を提案するなど増加する車対策に懸命だ、早速建設省でも都市部での駐車場大量確保に動き出している。然し、私はこうした「後追い的方向」に基本的な疑問を感ずる。 確かに、年々深刻化する…

静脈としての「バス」

では果たして今後バスの役割に期待を掛けなくて良いものであろうか、今でさえ8割のバス事業者は客離れで赤字経営を余儀なくされていると云う。 反面、風雨の日ともなれば、晴天の日に倍する乗客が殺到するのも日常的光景である、これから先、確実に高齢化社…

あるべき交通体系

さて、我々として、基本として重要なことは「本来あるべき交通体系」への視点であり、現状にゆがみがあるとすればその原因・対策・誘導策ではあるまいか。 本来、遠距離交通手段としては鉄道(列車・電車)が、中距離手段としてバスがその役割を担っている。自…

―上記に対する自分の意見―

一般論として、自転車は省資源無公害の大衆の足であり、これを放置自転車が多いから「自転車利用者を悪者扱いするのは理不尽」と論述されるのも一理はある。 かといって、これら一部の自転車利用者の放置行為を是認した上で、「大きく市民権を与える」との論…

―「自転車奨励へ政策転換を」の論旨―

「今の放置対策は自転車悪者論に立つもので根本的解決策とはなり得ない、むしろ自転車を交通の主役と位置付け、社会的受け皿作りをすべきである」。 上記は昭和61・6・18付け、朝日新聞「論壇」での寿福真美氏(大学教授)のご意見の要旨である。

バス復権への流れ

1980年代から90年代にかけての高度成長期、「怒涛のような車社会趨勢」の中にあって交通事故の激増、渋滞の慢性化、道路拡張と車両増加との悪循環、環境汚染の問題が大きな社会問題ともなって行く。 これらは高度経済成長政策の負の部分でもあったのだろう、…

追い風

間もなく各地から照会や問合わせが相次ぐようになった、地方からは代理店の申込みをも受ける。代理店第一号は四国U社であった、社長が直接来社され、「四国四県を任せてくれ」、との申出を受けたものである。 何よりも、それまでに下請け協力会社が充実して…

新製品

CASバス停屋根が広告宣伝の役割を果たし、渡り廊下、自転車駐輪場、大型ターミナルにも使用されるまでに至った。「ストリートファニチャー」としてCASはその尖兵的役割を果たした。 標識部門も電照式からスタートし、一本柱から各種2面式まで品揃えも…

アルミの優位性

都の発注のバス停上屋は、都内交通局営業所前に設置されたものである、その時は知り得なかったが、都内での上屋設置は、同時期に4社4事例の設置だったと言う。 それは主材が「布製テント」、「スレート」のもの、「塩ビ」の屋根、それに当社「カラーアルミシ…

創意工夫

標識の組み立て製作も、そこでの連日連夜の家族総出の作業だったが、カラーアルミ屋根の製作過程も実に楽しいものであった。「モノ作り」の醍醐味とでも言うのだろうか。 オランダの会社の製品は、実に性能もよく、魅力的なもので機能も独特なら塗装も実に素…

CAS(カラーアルミ屋根)

バス事業者の次の課題は、「バス停上屋設置」の問題であった、「雨の日」でも、「夏の陽光」からも、バス待ち乗客を守る施設を設置する事である。 アルミの良さが事業者にも認識され、各社の方からも交々、今度の上屋も「アルミで出来ないだろうか」と相談を…

救いの神

当時、折角各社からの受注の山を得たのに、S会社もってしても原料の手当がつかなかった、アルミの方はS社幹部の指示で特例的に取り組んで頂いたのだが、基礎の鋳物部材の方はとても間に合わない、と。 その時、力になってくれたのが発注先であるK電鉄のS…

「窮すれば通じる」

それにしても、運命の神は時々「試練の場」として「障害物」も準備されているようだ、万事が「順風満帆」とはいかなかった、その時未曾有の事態とも言うべき「石油ショック」に遭遇した。 受注直後、昭和48年10月の第4次中東戦争を切っ掛けとして起きた、…

仕事は勢い

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という言葉がある、我慢して待つ状態である、事業というのも、従って「時機」を得ないと実らないものかもしれない。 だが、一旦「流れ」が出来ると、逆に「勢い」が出てくるものかもしれない、その意味では「辛抱」する事も決…

燭光射す

実は、日ならずして各社から発注書を頂く事となった、その最初はK電鉄からの200基の発注、忘れもしない48年8月7日の事だった、創立以来約2年も経過していた。 自分はその発注書を持って夜行列車に飛び乗り、S社に向った。S社のO副社長も自分の事のように…

株主の重さ

実はこんな事があった、この事は、もし自分がその立場だったらきっと「言い出していたに違いない」と思うので、既に35年も前の事で、「時効」とも考えるので記す事とする。 新会社が船出しても一向に先が見えない状況の時に、出資者Hさんから電話が掛かった、…

「金」と「女」

実はこの話には後日談がある、2年余り過ぎU市に仕事の都合で行った折、タクシーを駆って、かっての旅館前に立ち寄らせた折、そこは全く違った「新興宗教」の看板が掛かっていた。 隣家のお年寄りに亀さんの消息を聞いて二度びっくりした、お年寄りは、肩を…

「亀さん」の生涯

不動産仲介で、一つの印象深い「ケース」を記す事とする、当時、「一億総不動産屋時代」、巷ではゴルフ場開発話も飛び交っていた。 勿論「ガセネタ」もあって、確度の低いものだが、ここに引く事例はある意味では「人生の悲喜劇」を見る思いがするものだった。 …

不動産仲介

又、不動産では、売り物件や賃貸物件は出来るだけ情報集めに努めていた。 銀行直系のT地所東京支店長Mさんには随分お世話になった。 Mさんは、かっては京浜地区の店長を経験された実に温厚で人望のある方であった。時折に売り物件を耳に入れて頂きながらも…

創業会社

一方、創業の会員会社に(準会員を含め)は「リーフレット」の形で、大体月一回は「レポート」を出していた、時折、依頼された事について一般的な報告を兼ね他社にもそれをPR紙として発刊していた。 その中には、「ボーリングの将来性」を記したものもある、当…

運輸業界

それにしても実に長い期間であった、都内の主要各社には頻繁に顔を出して担当者とも懇意になり、上層部とも理解を得べく努めていた、従って業界状況はよく飲み込めたし、何れ近い内に事業は「陽の目を見る」と、確信はしていた。 交通運輸事業は免許事業であり、…

業界状況

実は、それ迄も、それ以降もバス会社への営業活動は全く変わりなく継続していたし、都内の各社を回り情報も仕入れ、協会にも精を出していた。 国の方針として「運輸政策審議会」から「バス・タクシーのあり方」としてバスを見直そうという提言が為されたのもそ…

苦難の時期

自分へのS社O副社長からのお叱りは「尤もな事だ」と思った、社長である以上、他の人の所為にするわけにはいかない、ここは言い訳をせず、事業で実績を出すしかないのだ、と。 自分は新事業に賭けながらも、長期戦に備え、一旦は初心にかえり、その間は創業会…

O副社長の怒り

正月明けのまだ正月気分も抜けない仕事始めの朝、S社O副社長から電話があった。 のっけから「社長、1千万の会社が600万も払って何やってるんだ、大丈夫だと思っているんか」、「いや、Iさんが・・・」 「いや、今 I には叱りつけた所だが、第一君が社長だろ…