2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ささやかな「自分ごと」

新事業は、一時期、業界では名の通った会社になった、「上場」が未だ一般化しない10年前に、紹介者があり会社株式の上場を考え、大阪のC社と資本提携した。 「1億円の資本」のところへ「3千万の資本」と、「人間3人」を送り込まれ、その上で良いように料理…

「弱い者いじめ」格差社会

さて、この頃の政治、社会を見ていると、「強い者勝ち」と言うより「弱い者いじめ」の感がしてならない。 昨年9月の「郵政解散」で、小泉・自民党は法案反対者に刺客を送り、「独裁政治体制」樹立に成功したかのように見える。 最も罪作りなのは、若者達に「頑…

光陰矢のごとし

2月は日数が少ない分、日の経つのも速く感じるし、明日からもう「弥生の3月」で、気のせいか月の替わるのも早い。 実は、昨日まで、自分でも全く予定外の事だったのだが、NHK「大河ドラマ・功名が辻」に触発されて、ついつい「女房」の事を書いてしまった…

東京多摩病院での母

緑に囲まれた広い敷地に小鳥も飛び交う自然環境豊かな老人専門の病院、看護婦さん、それにお願いした付き添いの方が実に誠実な方で、母は、田舎言弁丸出し、童心に還ったようで院内でも人気者だったと聞く。 都の下町から高尾までは片道2時間、成城までも1時…

母東京へ

実は昭和57年3月のことだから、大分後日のことになる、T市に住んでいた母は、老人特有の手間の掛かる状況となり、且つお世話頂いていた方も病弱だったので、妻と相談の上で、下町に移り住んだマンションに母を迎える事にした。 母には、「孫の顔を見るため…

出資者

KZさんには半年後に事業を株式会社組織にした際もそうだが、その後「本命となる会社」にもご出資頂き、大変「公私に亘る」お世話を頂いた。 或る時には「両国国技館に大相撲を見に行かないか」とお誘いを頂いた事もあった。その時には真近かに見る大相撲を…

会員第一号

KZさんは或る製薬会社の専務(後副社長)だった、一緒に職場で仕事をした事はなかったが、以前、銀行人事部次長もされていたので、KZさんの方が自分をよくご存知だった。 独立した事を耳にされてか、ある日電話が掛かって来た、「君も、何れ会社組織にす…

「干天の慈雨」

KAさんは折角の構想が実現せず自分に「悪い」と考えられたのだろう、その後こんな事があった。 「この間、君の方で不動産をやっていると聞いた、その中に千葉のK製鉄寮の売却話があったな、資料があったら持ってきてくれ」、だった。 まさか、これが成約に…

「助け船」

KAさんはある会社建て直しのため銀行からの「出向」で、パルプ会社常務の職にあった、本社が銀座で会社が近かったので時折気晴らしにお邪魔していた。 KAさんとは独身時代、都内支店が急に3―4店舗増えて、寮も二人相部屋になった際に一緒に寝起きを共に…

「記念の時計」

さて、不在中に銀座にお出で頂いた折のお礼も兼ねて銀行支店に早速KBさんを訪ねた時だ、「まあ、場所も良いじゃーないか」と、一応のお褒めもあった。 ややあって「然し山登りでも、頂上を目指す時は良いが、降りるのが難しいと言う」、「先日行っていた時に…

「キャロル」の思い出

独立前後を通じて、実に多くの方々のお力添えを頂いた、今回その中で銀行時代の先輩である三人のKさんの事を記したい。仮にKAさん、KBさん、KZさんと称させて頂く。 銀座で事務所を持っての創業間もなくの事、妻が一人で事務所で留守を守っていた時に…

アイデア商品

自分で考え、名前まで付け、試作をつくり実現寸前まで行った物もある、今でも「グッドアイデア」と思うのだが、「カーキュウちゃん」である、 子犬や子猫の「縫ぐるみ」の中に「プラシチック」で「救急薬品函」を装置し、乗車中いざと言う時の為、赤チン・包帯・…

「会員制」

実は「新事業」は「会員制」とし、月額会費を頂くシステムにしたのだが、お問合わせを頂いた割には入会して頂く会員はさほど多くはなかった。 銀行の先輩等から寄せられるのは「入会」よりも、「営業代行」の「売上実績」に応じて「マージンを払いましょう」…

地方へ

印刷の出来上がるのを待ちかねて、それに挨拶状を添え、懇意だったかっての銀行の先輩・同輩等に「取引先へ紹介の依頼状」として郵送する事とした。 宛名書きは一切女房が引き受けてくれた、一方、自分は取る物も取りあえず、杞憂に沈んでいるであろう母や、…

営業案内

さて今、手元には、唯一枚残っている創業時の三つ折のリーフレットがある。表紙には大文字タイトル「営業案内」とあり、その上部には小文字でサブ・タイトル「地方企業の合理化と、発展に奉仕する」と書かれている。 A4判、見開きリーフレット左から大きく3…

独立開業

事務所をオープンしたのは忘れもしない、昭和45年(1970年)12月5日だった。事務用机椅子及び、小さな応接セットはビル・オーナーの関連会社から運び込んでくれた。 社名は「仲介者」を英語名で付けた、その会社名は早速と「ビル入り口1階」及び「6階…

絶妙の電話番号

もう一つの重要要素である「電話」である、こちらは直接電話局へ行き「日本で最初の仕事を始めるのだ、良い番号をもらいたい」、と頼んだ。 実は色々呈示れたのだが今一つだった、担当の方が奥に行き相談の上で、「本当は、これは未だ出せないのだが」と言っ…

銀座4丁目

義弟から電話があったのはそれから日を措かずであった、「今日、銀座を歩いていたら小さいビルに貸室あり」との看板が出ていた、詳しい事は聞いてみたらどうだ」だった。 早速出掛けて見たら、確かに看板の出ているビルが見つかった、広い昭和通に面した「か…

事務所と電話

実は、銀行を辞める決心をした時、何をやるか「おぼろげながら」考えていた。何れにしても、それには先ず創業の「場所」と「電話」が大事だと考えていた。 最初は、家賃も要らない自宅で電話を引いてやる積りであった、然し次第に気が変ってきた。それは朝の…

義父の「深謀遠慮」

銀行を辞めて「独立した事」は、事務所を構えてから、旬日を経ずに郷里へ向い、母は勿論、姉妹及び旦那、それに妻の里の両親にも報告に行った。 勿論、「それはよかった」と言う人は誰一人としていなかった、また、居る筈もない、皆が自分の先行きを危惧して…

「三億円事件」と母の「杞憂」

「銀行を辞めた事」は、何日か後に「姉と妹」だけには告げたものの、その際、他の人特に、「母」には当分絶対に云わないでくれ、と頼んでおいた。 母は人一倍の「心配性」で、何れ帰省の折に姉妹の旦那や、勿論母にもゆっくり説明し、理解を得るつもりにして…

「占い師」

ここで、何故「南」だったかを白状すると、辞表を出して2―3日後の夜のこと、帰宅途中の新宿西口で「ろうそく明かり」の下で、何人かの「手相占い師」が並んでいて、その一人に手招きをされて、占ってもらった事があった。 自分を見るなり、彼は「貴方は今大変…

「退職時」

実は銀行の退職金は、当時の金ではあるが60万円台だった、勤続年数が19年8ヶ月で20年には僅かだが4ヶ月足りない。 20年以上になるとぐんと多くなる退職金制度であり、且つ「自己都合退職者」には50%減額規定もあって20年を越えれば適用外とな…

「引越」

退職後は「独立する事」は心に決めていたが、具体的な目論見については兎も角「辞めてから考えよう」と思っていた。 先ず、真先に、家族の引越先を決めねばならない、早速駅前の不動産屋に飛び込み「この場所から真南の方角で、直ぐに入れるアパートがないか…

辞表提出

9月末の決算を無事に終えたその翌日、10月1日、懐にして来た頭取宛「退職願」を、支店長に差し出した、 支店長は予期もしなかった様子で、一瞬顔色を変えた、中味を確かめた上で「君も将来のある身だ」「家族の事も考えて見たらどうだ」、「再考し給え」だっ…

人生の岐路

「銀行を辞める」と、言い出した途端、妻の顔色が「さっと」変り、暫くは絶句していた。妻とすれば言葉も出なかったに違いない。 あの当時、世間的には、銀行は最も安定した職業とされていた、それを抛(ほう)られては、家族はたまらない、これからの「家族の…

針の筵(むしろ)

然し、支店長にしてみたら、客先から誘いが来る(最近の言葉で「引く抜く」)と言うのは、私自身に甘さがあったからだ、となったに相違ない。 大抵の銀行員なら、多分何度もそのような経験にあっているに違いないのだが、その時の支店長は頑(かたくな)態度を…

或る誘い

実は、先般来、中堅取引先企業の「Y社長から会社入社の誘い」があって、最終返事保留のまま来ていた。 そのような状況下、Y社長から支店長に「正式申し入れ」がなされたようで、その日を境に支店長の自分への態度が一変してしまったのである。 Y社は北陸…

重大決心

連日、勤務の終わるのが遅く、殆ど「午前様」になる日が続いていた、その日も帰宅したのは深夜の事だった。 今日こそは妻に、胸のうちを打ち明けようと帰途の終電の中で固く決心して来たのだ、食卓には二人分の夕食が並べられ、妻も何時ものように起きて待っ…

転勤族

名古屋の後、2ヶ店を経て再度の東京勤務となった。銀行勤めでは、異動発令後大体一週間以内に赴任せねばならない。 赴任は家族同行が決まりである、従って遠隔地への赴任は本人よりも家族の慌しさは格別なのだが、その方は殆どが女房任せで来た。 引越荷物の…