「三億円事件」と母の「杞憂」

okamakoto2006-02-14



「銀行を辞めた事」は、何日か後に「姉と妹」だけには告げたものの、その際、他の人特に、「母」には当分絶対に云わないでくれ、と頼んでおいた。


母は人一倍の「心配性」で、何れ帰省の折に姉妹の旦那や、勿論母にもゆっくり説明し、理解を得るつもりにしていた、処が1ヶ月も経たない頃だった。


自分の留守中、母から電話が入って、「息子が銀行を辞めたと耳にした、何があったのか、ひょっとすると三億円事件の犯人ではあるまいか」、と妻にしつこく問い詰めたのだと言う。


勿論、妻は否定してくれているのだが、母は、「もしそうなら自分も(警察に)付いて行くから自首するように云ってくれ」と。


当時、前年に起きた「三億円事件」で、マスコミを始め日本中の新聞テレビがその話題で持ちきりで、連日大騒ぎをしていた。


東京・府中市東芝府中工場で、年末ボーナス3億円を銀行から引出して車で運搬中、白バイに乗った「警官風の男」に止められ、まんまと強奪された事件であった。


確かに当時、テレビ・新聞では推理小説風に、もしや内部事情を知っている「銀行関係者」ではあるまいか、との説も流れていた。


「銀行退職」は、その事件の余韻がまだ冷めない頃であった、母から電話のあったその当夜の、「妻の困惑した表情」は、今でも思い出す。


振り返って、「三億円事件」は昭和43年12月10日に起きている、自分が辞めたのはその1年後(昭和44年10月末)、さぞかし妻は「笑うに笑えぬ」、かと云って「泣こうにも泣けない」状態だったに違いない。