2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

紅葉の憂い

十月も今日で終わる、この一カ月は公私にわたって「多事多難」な事があって一入り重苦しい思いをしてきた。 何よりも妹が逝った事は気分的にこたえた、日頃は余り考えなかったが、この機会に自分自身も色々思案しておかねば、と思ったのも確かだ。 それにし…

参謀「辻政信」の軌跡

学校での成績が優秀だった事で、特権幹部に就く軍隊組織(現在は官僚組織)のあり方に問題がないのか、そのことを考えさせる上で太平洋戦争でリーダー役を果たした参謀「辻政信」の事例を考えてみたい。 関東軍で「軍規を乱し事件を起し、勝手に第一線に行って…

「一将功なり、万骨枯る」

近代兵器を相手に肉弾と精神力で向って行った日本軍に、隊長以下一般将兵に約2万人近い死傷者、行方不明者も約1千人を出した「ノモンハン事件」。 然し、停戦調印後も「戦争は意志の強い方が勝つ」「今度こそ挽回するのだ」と叫ぶ辻政信参謀に、現地関東軍司…

「自決」強要

2人は俘虜交換で釈放後、憲兵の護送の下で吉林の病院に運ばれ、終日憲兵の監視の下取り調べが始まり、いよいよ軍法会議に付される事となった。 その前日に病院に2つの棺桶が運び入れられて、2人には実弾入りの拳銃と共に「ノモンハンで名誉の戦死を遂げた」…

俘虜交換

ノモンハンでの日ソ停戦協定締結半年後に双方の俘虜交換が始り、チタ俘虜収容所から日本軍の俘虜が連行され日本側に引き渡される事となった。 殆どが激戦中に負傷して意識不明のまま敵側に捕虜となった者で、中には戦闘中、方向を見失い敵陣に迷い込んだ者も…

「生きて虜囚の身となるなかれ」

日本軍の犠牲者が大きなものにしたのは、天皇勅諭で「操(みさお)を破りて不覚を取り、汚名を愛くるなかれ」、これを受けた戦陣訓で「将兵は生きて虜囚の身となるなかれ」とした戦陣訓に起因する。 この「統帥」の非合理さと拙劣さは、作戦計画の粗雑さや錯誤…

「自決」の強制

捜索第23連隊長井置中佐「自決」、第8国境守備隊長長谷部中佐「自決」、歩兵64連隊長山県大佐「孤立自決」、歩兵62連隊長酒井大佐負傷後送のち「自決」、歩兵第71連隊隊長岡本大佐入院中「斬殺」さる。 「自決」の多いのに気付くこれは、「自決」を強いたの…

「上に甘く」「下に厳しい」

「ノモンハン事件の責任を明示する」、としての人事異動は、事件収束後、三宅坂上の参謀本部から発令された。 その内容の主だったものは、参謀本部次長・作戦部長は予備役へ編入、現地関東軍司令官・参謀長も予備役に編入となった。 「辻参謀(当時少佐)が…

守られなかった「信賞必罰」

「ノモンハン事件」後、陸軍では事件の責任を明らかにするために人事異動が行なわれた、しかし、肝心の戦争指導者は大物や参謀などのエリート階級に手をつけず、温情主義で臨んだ。 又、一時的に大物や参謀などのエリート階級は更迭されたが、再び枢要な地位…

66年前の「下克上」

「ノモンハン事件」についての資料は決して多くなく、むしろ「ノモンハン事件」が「日本近代史」の重要な「屈曲点」だった事を考えれば戦史の資料としては少ない方ではあるまいか。 この機会に事件を検証すべく何冊かの著書に目を通して見た。その結果66年前…

唯我独尊の「精神主義」

このノモンハン事件の実態を、軍は威信低下を避けるため、国内に対しては真相を隠し通した。新聞はノモンハンでの日本軍の圧勝を報じていた。 尚且つ、指導部は敗北の責任を参加将兵の無能と臆病、および政府の非協力に帰し、参加将兵に緘口令をしいた。一般…

日本軍の原型「ノモンハン事件」

「日露戦争の大勝が、後の日本の敗北に繋がった」事は、昨日記した事ところである、ところで、日本軍の敗因の原型は昭和14年の「ノモンハン事件」にくっきりと芽生えていた。 昭和14年(1939年)5月―9月までの「ノモンハン事件」が起きるまでにも、中国北部(満…

「薄氷の勝利」

更に戦費調達のためヨーロッパで多額の戦時国債(20億円)を発行し、各国への理解と協力にも心を砕いている。 「日露戦争勝利」は、ようやく近代化に着手したばかりの「小国日本」の総力を結集しての、然し実態は「薄氷の勝利」だったのである。 (写真は横浜…

日本の総力戦

世界の大部分の人々が極東の小国日本が勝つとは思っても見なかった。過日の「トルコ旅行記」で記したようにトルコ人が「日本びいき」なのは「日露戦争で日本が思わぬ勝利した事が大きい」、と聞いた。 「戦役」そのものは1904年2月6日の「対ロシア最後通牒発…

「日露戦争」勝利

日本が日露戦争勝利後、37年目に世界の大国を相手に「太平洋戦争」に突入し、40年目に完敗した出来事は昨日記したように、丁度「東京オリンピック」から今日までの期間に等しい年月でしかない。 その間の37年間に日本人の意識がどう変わったのだろうか、日…

「米の占領60年」、

まして敗戦後現在まで60年間も続いている「他国アメリカの日本占領状態」が、如何に長期で、独立国家として「異常」であるかを身に染みて感じるのである。 さて、今日から「日本はどこで間違ったのか」を考えてみたい。これは大テーマ―なので果たして納得出…

学校教育の手抜き

今の世代が「日米戦争」があったことさえ知らない「世代」と言って笑えないのは、自分達自身の体験と比較すると「60年前」と言うと「大昔の事」、無理ないという気がしてならないのだ。 何よりも近年の日本の学校では「歴史教育」、特に日本の近代史には「手…

「日露戦争勝利」から「40年目で敗戦」

自分達昭和一桁世代―70台―は、今の若い世代の人達から見れば、既に「化石時代」か「石器世代」のように思われていることだろう。 然し考えても見よう、我々「昭和一桁世代」が生れた前後に満州事変(1931年)が起きて6年後の昭和12年(1937年)に日中戦争、…

政治不信の原因

今の日本には「政治不信」が漲っている。現下日本の最大の問題は「政治にウソ」が「公然と罷り通っている事」及びそれを「罷り通らせている」事である。 次期政権で一国のリーダーと目される方が疑惑のままだとすれば政治の乱れや疑惑を正す事も出来まい・ …

民主党への魅力喪失

然し貴方が過去のご自分の家庭環境で故意に「偽りがあった」(ウソをついていた)、と言う雑誌報道が「事実」とするならば、政党人、ましてリーダーとして大問題だと言わざるを得ない。 貴方はHP上で、別件で出版社に抗議文を送った事、及び出版社に謝罪させ…

民主党「前原党首」のケース

さて、今日は大変心苦しいのだが、小泉政治に対峙すべき野党第一党「民主党」「党首前原氏」のリーダーとしての資質について私見を述べたい。 実は「健全な民主主義国」日本のためには、一日も早い政権交代の必要性を痛感し、日頃、民主党に人一倍期待をかけ…

エスカレートする「政治の残虐性」

何故なら、「血の味」を覚えた大衆は、それを機に、政治に、「より以上の残虐性」を求め、「殺すか」「殺されるか」の劇場化・過激化のドラマを希求するようになるものだ、と言う。 その結果、政治手法そのものが「刺す」か「刺されるか」手法になってしまっ…

「先手必勝」

彼の政治が、余りにも独裁的で党内からも批判の声が大きくなった折に、彼がとった政治的選択肢も、矢張り意表をついた「議会の解散・総選挙」であった。 その時の争点が「自分を信認すか」「そうでないか」の二者択一の手法で、信認する候補には公認詔書(ク…

イギリスのケース

歴史の上で現在の日本の状況に似たような特異な政治情勢はなかったものか、と、思っていたところに、丁度、政治学者の中西輝政さんが「週刊文春」で1910年代イギリスの事例を披瀝されているのに出会った。 「小泉ポピュリズムは自民党終わりの始まりだ」の記…

名門「三越」の危機

その名門デパートでさえも危機の時があった、高度成長期の終わりごろ、1980年代、「広告宣伝部」出身の腕利きの「岡田茂」に後継社長が託された。 前社長とすれば、ここで彼に委ねれば業績の一層の拡大が可能と判断し、「やり手」の人物に後事を託したつもり…

ある百貨店の事例

会社の場合はトップ選任の失敗はその会社の「内紛」によって潜在化し、「業績悪化」によって「顕在化」する(表に出る)のが一般的である。 会社後継者の選任を誤ったばかりに、隆々と栄えていた企業業績が低下し、倒産に追い込まれる事例は、それこそ今も昔…

猫の首に鈴

日本の場合、昔の明治憲法下では確か首相の上に「重臣会議」があったと記憶する、何よりもそれ以上に絶対権威者「天皇」の存在もあった。 歴史の上で例えば昭和4年に田中義一内閣は張作霖事件の処分が甘いと天皇に叱責され、内閣総辞職しているケースもある…

独裁者

昨夜は正直、一睡も出来なかった。笑われるのかもしれないのだが、小泉首相靖国参拝のニュースに、将来のこの国「日本」を想った。 そして、トップ選出の難しさ、それ以上に一旦選任した場合の修正の困難さに思いを致し、過ぎこし歴史の幾場面や企業に思いを…

「こだわり」の怖さ

それにしても「こだわりの怖さ」に慄然としている。特に指導者には「万機公論に決す」―先人の遺訓「指導者には心の広い人物」こそ不可欠のものなのだろう。 「反対者に対する執念深さ」、私的怨念に何時までもこだわり、「私憤を公憤とする残忍さ」、これら…

歴史的「自民党の誤り」

それにしても4年前、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ「変人」を「党首」=「首相」に据えたこと自体、自民党の大失態だった。 幾ら森さんが「史上最低の総理だった」にしろ、後任総理となる「党首選び」は安易で無責任な選び方だった。「史上最悪の選択」だっ…