名門「三越」の危機


その名門デパートでさえも危機の時があった、高度成長期の終わりごろ、1980年代、「広告宣伝部」出身の腕利きの「岡田茂」に後継社長が託された。


前社長とすれば、ここで彼に委ねれば業績の一層の拡大が可能と判断し、「やり手」の人物に後事を託したつもりだったに違いない。


ところが岡田社長は社長就任後次第に「ワンマン化」が嵩じて、付き合いの深い女性の会社を通し仕入れを行い、彼女の意に反した社員は配転させたり、彼女の言うままに商品を買い取り、不良在庫を増加させたりした。


さすがに、見るに見かねた幹部社員の中から異論や批判が出ると、それには片っ端から左遷、関連会社への出向、解雇で対応、社長の人事権で徹底的に「報復」したのである。


又外部からの忠告や批判には「広告宣伝費」を使って、「カネ」の力でこれらを封殺した、と言われる。


そうなると、何時の間にか、社の内部に茶坊主が輩出し「スパイ網」が出来、情報は細大漏らさず社長へ通報され、従って又「腐敗と権力」は増大したと言う。


たまたま、三越が行った「ペルシャ秘宝展」の作品の多くが贋作であったことが判明しこの事が週刊誌にスクープされ、三越の現状が広く世間に知れ亘るに及んだ。


取締役会で突如「社長解任動議」が出され劇的な幕切れを遂げるのだが、その間の9年間、三越社内は疑心暗鬼の暗黒状態となり、業績は低迷し一時は最悪状態も予想されるに至った、と言う。


この事例からも判るが、企業であれ、団体であれ、人間集団にとって「トップの選任ミス」は企業の命取りになり兼ねないものだ。まして「一国の最高権力者」となれば、正に想像を絶するものがある。



(写真は東京・日本橋三越本店