有難かった最初の職場

人間の基本は最初の職場で作られるものだと思う。社会人として最初に入った銀行は大変素晴らしい先輩や同輩に恵まれ楽しい職場だった。特に雪深い田舎の農家に生まれ姉妹の中に男一人だったせいで、未熟の時代に首都東京で勤務・生活出来た事は今思っても素晴…

反省と感謝

何でもそうなのだろうが,「追っ掛けるのは楽しい」ものだが、「追っ掛けられるのは辛い」ものだ。今年は特に日記も遅れがちで、まして自分の忘れたい過去を振り返るのはとても気が重かった。、 実はかねて、拙いながら自分の今まで歩んで来た過去の経緯を、ど…

「波乱万丈人生」の軌跡

実はここで下手な自分の日記に一区切りしたい、と思っている。多少余計な事を記したように思うし、口にしてはならぬことも書いたように思う、然し関係者の方には既に鬼籍に入った方もあると聞くと既に過去は歴史の一ページだったと思うからだ。 むしろこの後の…

近くて遠きは

不動産屋の案内が高級車だったせいで、遠く感じなかった事もあり、自分は即決、そこに移ることにしたのだ、二人の子供達には赤堤の学校へはとても無理で転校不可避な事は契約後直ぐに分ったが手遅れである、「今に大きい家に移るからな」と妻子には言いきか…

アパート探し

10月1日から早速せねばならぬ事はアパート探しであった、社宅を出なければならないためである、早速近くの不動屋に飛び込んで子供に迷惑の掛らぬよう同学区内を探したのだが、さすが街の不動産屋だ、「少し距離があるが同じ世田谷区内で良い場所がある、ここ…

退職前後の事

丁度9月決算前のことである、兎も角、支店の成績の成否は実質得意先係長の責任である、決算だけは良い成績を挙げ有終の美を飾ってやろうと固く心に決めた、部下にも叱咤激励、率先して早速幾つかの仕事上の懸案解決にも努めた。 支店長への意思表示は決算見事…

新宿街頭占い師

さすがに20年も勤めた銀行を辞めるとなると色々気になる事も多い、別に悪い事をしたわけでもないし退職を迫られたわけでもないが親戚筋・世間態もある、何より退職した途端に生活の心配をせねばならない、何の蓄えもない身に果たして親子4人が生きられるのか…

決断

事情があってここ赤堤も実は僅か2年で退去せざるを得なくなくなるのだがそれは後日の事。その頃休日もなく真夜中に帰る状況が常態だった、然し家庭は妻が責任を持ってくれ、子供達と顔を合わせる時間も殆どなかったがお互い仕方がないと割り切っていたようだ…

新宿街頭占い師

さすがに20年も勤めた銀行を辞めるとなると色々気になる事も多い、別に悪い事をしたわけでもないし退職を迫られたわけでもないが親戚筋・世間態もある、何より退職した途端に生活の心配をせねばならない、何の蓄えもない身に果たして親子4人が生きられるのか…

人生の転機

事情があって閑静な赤堤も実は僅か2年で退去せざるを得なくなくなるのだがそれは後日の事。その頃休日もなく真夜中に帰る状況が常態となっていた、然し家庭は妻が責任を持っていてくれ、子供達と顔を合わせる時間も殆どなかったがお互い仕方がないと割り切っ…

妻と子供達の苦労

妻からは自然に当時の苦労話が出てきた。上の娘が下高井戸小学校に転校し、下の長男は近くの幼稚園に入る事になったのだが行きたがらず毎朝泣くのを無理やり手を引いて行ったと云う。それまでに既に何回も転校を繰り返していて折角仲良しが出来た友達と引き…

今「浦島」

当時の家族寮も確かにこのあたりだと家並みを探したが見当たらない、既に売られていて何軒かの分譲邸宅に変っていた、娘が通っていた学校も建て替え中で反って風情のないコンクリートの図書館みたい、商店街も「栄枯盛衰」、もっとまとまった都市整備が出来…

東京の変貌

転勤族の住いは、辞令一枚で各地を転々と変るのだから、再度東京勤務になったといっても十数年も経つと「今浦島」である、独身時代は新宿にも近く独身生活を謳歌した、ところが訪ねた当時の寮は既に売却されていて戦後当時の面影は全くない。 毎日通勤で乗り…

「都電15番」

その他に都内の交通機関として乗降の折「チンチン」と鳴らす「都電」が網の目のように張りめぐられていて都内には41区間もあった、夫々番号が付され、例えば?番は品川−新橋−銀座−神田―赤羽方面を走り市民の足として重宝な乗り物として利用されていた。 甲州…

「浦島太郎の心境」

そんな憂鬱な事を考え憂いるより多少「目先を変えてみよう」と妻と話し合って、過去自分達が歩いて来た道を久々に実際にこの足で歩いてみる事とした、。先般金婚式を迎えたのを機に、自分達親子の過去の幾星霜を歩いてみる事としたのだ。 先ず最初に身近な東…

「心の旅路」

自分自身の怠慢で、このホームページも途切れ途切れとなった。色々個人的な諸事情もあったとは言え、要は「不精者」になったということ、全くプライベートな事でありながらもわが身の不明を恥じるのみである。 ただ、多少の言い訳になるが、正直な気持を吐露…

閑話休題  老夫婦「過去探訪の旅」  その(一)

東京の変貌

銀行の帰路日本橋から15番の都電を利用して早稲田に通った、神田YMCAの前を通り飯田橋・面影橋等を通り40分前後で早稲田大学に到着したものだ。その15番の都電の延長線上に三ノ輪橋までの路線のみが今残っている唯一の都電である。 さて、最初の単身時代は30…

生真面目「警察官」

例えば警察関係者には共通して警察独特の「生真面目さ」と「正邪を峻別しようとする正義観」が強制される、それらは司法・階級社会の中で日常的に教育され醸成される。その分、彼等には私生活ではプレッシャーも強いと思われる。 最近、大きく話題になった事…

「制服・制帽」社会

一口に「役人」と言っても、国家公務員・地方公務員や職種によって様々、事務系と技術系で多少肌合いが違うとは言え、公務員としての使命感、倫理観・奉仕精神・用心深さ等では共通しているように思う。 特に「制服・制帽組」―制服を身に付け、制帽(一般的にそ…

「職業」と「らしさ」

人生を長く生きてきたせいか、初対面の方でも、一言二言言葉を交わしただけで大体その人の「職業と人となり」が見当つくように感じる、夫々の人には自ずと職業人としての過去の雰囲気が身に付いているように思うからだ。 役人は「役人らしく」、「職人」は「…

諸悪の根源か、「給料の振込制」

更に、近年の女性の地位向上に決定的となったのは「給料の銀行口座振込制度」だったように思う、「給料の振込制度」は今や一般的になり、それがさも当たり前のようになっているが、本来的にはそうではない。 本来は「給料」は現金で働いた本人に支払われねば…

「ババ抜き」から「ジコチュウ」まで

振り返って、敗戦後10年程経った昭和30年代「家庭電化時代」が到来した、電気洗濯機・冷蔵庫・掃除機が「三種の神器」とうたわれた、これら「三種の神器」が女性を一挙に家事から開放させ、意識変化の契機となったように思う。 それまでは少なくとも「掃除」…

「男女の地位逆転」

「隔世の感」と言う言葉があるが、半世紀以上経った現在から見るとその間の事象での変化には目を見張る思いをする事が往々にしてある、特にそれは「男女の意識の変化」に顕著に出ているように思う。 戦争世代は明らかに「男性上位時代」であった。家庭でも世…

「財布を握った」女房達

今年は「無敗を誇った日本」が昭和20年8月15日に「敗戦」を喫してから既に62年目に入った。自分は満州事変の昭和6年に生れ、日米戦争が始った昭和16年には10歳、敗戦は14歳の時であった。 自分達昭和初期の「戦争世代」は、幼い頃から「戦争又戦争」の…

「ヤミ米事件」

「ヤミ米事件」と言うのがあった、僅か14年前(1993年・平成5年12月)の事である、富山・婦中の川崎さんが「食管法違反」で警察に検挙された、ところが今や米はスーパーの店頭で銘々の値札付きで積み上がっている。 さてそこで、郷里は保守意識が強く…

農家の「実質収入」は「40年前の30分の1」

「農は国の基本」と言われたのは多分40―50年前までの事であろうか、知人と農業の昔と今を語り合って判ったことは今や大多数の農家は「極貧」の「棄民」に陥っているのではないか、という率直な疑問と問題意識だった。 知人によれば、つい20年程前の食管法があ…

「悲惨な農村」の現状

地域格差も実に深刻な問題だ。先日、所用で久し振りに郷里北陸を訪ねた、元々この地域は稲作が主産業で「豊かな米どころ」であった。「であった」と、「過去完了形」で言うのは、現在は全く様変わりしていたからである。 たまたま知り合いに「近年の農村事情…

 札束を「捨てる人」・「埋める人」

最近、「家のポストに現金を投げ込んであった」、とか「札束がゴミ捨て場に捨てられていた」、「埋められていた」と言った類の新聞記事を時折目にする。 その一方で、「食べ物も買えず一家心中した」とか、「金に困って自殺した」との話題にも事欠かないこの頃…

「日本の分岐点」

ここで「起死回生」があるとすれば今度の参議院選挙で「与野党逆転」を実現し、政治に変化を起すしかないだろうと思う。直ぐには無理だろうがかっての民主主義的自由闊達な雰囲気を取り戻す事だ。 今から約半世紀前の1960年(昭和35年)5月ー6月に掛けて若者達…