今「浦島」


当時の家族寮も確かにこのあたりだと家並みを探したが見当たらない、既に売られていて何軒かの分譲邸宅に変っていた、娘が通っていた学校も建て替え中で反って風情のないコンクリートの図書館みたい、商店街も「栄枯盛衰」、もっとまとまった都市整備が出来なかったものか。


偶然に昔からの米屋さんを見つけ話を聞くことができた、店の前に「今週で廃業します」のビラが痛々しい。このお米屋さんも古くから商いをやっていたのだが「この付近はすっかり変りました、近所の人も変り昔からの知り合いもいなくなり商売が成り立たなくなり決心したのです」妻に述懐する声は確かに涙ぐんでいた。


銀行の寮のようにまとまった土地は買占め屋の格好の目標となったのかもしれない、聞けばお得意も変り人間関係もすっかり薄くなったそうだ「長年の仕事を閉じるのには祖先に申し訳なくて」としみじみと述懐される古風な主人であった。


確かに所々に小さい公園が出来てはいたものの、小型マンションがやたら増えて夫々にハイカラな名前がついて世帯は増えたのかもしれない、新宿にも近いだけに格好な住宅地になったのだろう。入居者も若い世代らしく、それだけに夫々に人間的な付き合いもないのだろう。


何となく「栄枯盛衰」のはげしさ、東京のいびつな膨張・発展の現実、時代の変化のはげしさと共に、こんな感慨を覚える事事自体が、それだけ年をとった証拠なのかもしれないと「浦島太郎」の思いに駆られた。