「浦島太郎の心境」


そんな憂鬱な事を考え憂いるより多少「目先を変えてみよう」と妻と話し合って、過去自分達が歩いて来た道を久々に実際にこの足で歩いてみる事とした、。先般金婚式を迎えたのを機に、自分達親子の過去の幾星霜を歩いてみる事としたのだ。


先ず最初に身近な東京都内を歩いてみる事にした、上京当時は未だ独身時代で敗戦後未だ数年しか経っていなかった。都心の主要通りはバラックで商をやっていたが一歩裏通りに入ると瓦礫が山積みで戦災の被害も生々しかった。


交通機関の「省線」と称されなじまれていた国鉄路線も戦後いち早く回復しその頃には復興し山手線・中央線・総武線など輸送の主役は健在となっていた。自分は代々木か、新宿から神田へ通勤していたのだが年々混雑が酷くなって「尻押し」も出てきた。