独裁者

okamakoto2005-10-19



昨夜は正直、一睡も出来なかった。笑われるのかもしれないのだが、小泉首相靖国参拝のニュースに、将来のこの国「日本」を想った。


そして、トップ選出の難しさ、それ以上に一旦選任した場合の修正の困難さに思いを致し、過ぎこし歴史の幾場面や企業に思いを致し一夜感慨を新たにした。


世の中には、トップが変わった事で国でも会社でも見違えるように良くなっていくケースもあれば、逆に悪くなり、時にはそれが元で最悪事態に陥るケースも間々目にする。


物事は、万事、良くするのには時間が掛るのだが、悪くなり始めると谷底に逆落しするように急激に悪くなるものかもしれない。


今度の小泉氏の「靖国参拝」が今後どの程度のマイナス要素になるのか判らないが、かなり長期に亘って「ボデイブロー」のように内外に作用する事だけは不可避だろう、と思う。


日本は資源のない国で、諸外国とは仲良く付き合っていかねば生きられぬ国である、先般大手商社課長職にある親戚の青年が、「政治が円滑でないと経済はうまく行かない」としみじみ体験を述懐していた。


首相の「個人的こだわり」から、折角の彼等の努力も水泡に帰していては、実に情けない事ではないか。まして事は一国の未来に及ぶ問題である。


四年前、自民党は評判の悪い森首相の後、緊急避難的に小泉氏を首相に担いだ、恐らく我々もそう見たのだが、本人も含め、大方は森以降の「短期緊急避難政権」と思っていた。


然し一旦「トップの座」に就くと余程「居心地の良いもの」と見える。本人が「辞める」と言わない限り「最高権力者」を辞めさせる術はなさそうに見える。