猫の首に鈴


日本の場合、昔の明治憲法下では確か首相の上に「重臣会議」があったと記憶する、何よりもそれ以上に絶対権威者「天皇」の存在もあった。


歴史の上で例えば昭和4年田中義一内閣は張作霖事件の処分が甘いと天皇に叱責され、内閣総辞職しているケースもある。


敗戦後の「昭和民主主義憲法」では「重臣会議」もないし、天皇は単なる「象徴」で、政治上の最高権力者は「総理大臣」、「独裁者」たり得るのである。


「政治のご意見番」的「長老格」の宮沢さんや中曽根さんも、小泉首相が引退を迫って第一線を退いてしまっている、トップの上にはもう誰もいないのだ。


猫の首に鈴をつけるものがいない独裁状態は、ナチス・ドイツが敗退するまでの国の運命を想起させる。


ナチス・ドイツ国際連盟脱退(33年10月)、ベルサイユ条約破棄(35年)、ポーランド侵攻で第2次世界大戦勃発(39年)、瞬く間にヒトラーは全世界を戦火に巻き込んで、国もろ共滅亡した。


あの世界一理性的なドイツ国民でさえも、一旦独裁政権に支配されや1945年の破滅までは谷底に落ちるが如く一瀉千里だった。



(写真は東京・品川「原美術館」前庭の外字新聞のモニュメント)