2005-10-28から1日間の記事一覧

「自決」強要

2人は俘虜交換で釈放後、憲兵の護送の下で吉林の病院に運ばれ、終日憲兵の監視の下取り調べが始まり、いよいよ軍法会議に付される事となった。 その前日に病院に2つの棺桶が運び入れられて、2人には実弾入りの拳銃と共に「ノモンハンで名誉の戦死を遂げた」…

俘虜交換

ノモンハンでの日ソ停戦協定締結半年後に双方の俘虜交換が始り、チタ俘虜収容所から日本軍の俘虜が連行され日本側に引き渡される事となった。 殆どが激戦中に負傷して意識不明のまま敵側に捕虜となった者で、中には戦闘中、方向を見失い敵陣に迷い込んだ者も…

「生きて虜囚の身となるなかれ」

日本軍の犠牲者が大きなものにしたのは、天皇勅諭で「操(みさお)を破りて不覚を取り、汚名を愛くるなかれ」、これを受けた戦陣訓で「将兵は生きて虜囚の身となるなかれ」とした戦陣訓に起因する。 この「統帥」の非合理さと拙劣さは、作戦計画の粗雑さや錯誤…