「生きて虜囚の身となるなかれ」

okamakoto2005-10-28



日本軍の犠牲者が大きなものにしたのは、天皇勅諭で「操(みさお)を破りて不覚を取り、汚名を愛くるなかれ」、これを受けた戦陣訓で「将兵は生きて虜囚の身となるなかれ」とした戦陣訓に起因する。


この「統帥」の非合理さと拙劣さは、作戦計画の粗雑さや錯誤には目をつむり、戦争現場に必要以上の過酷さと犠牲を強いる結果となった。


一旦戦場で如何なる理由あれ「俘虜」になると「脱落者」として、当人は勿論、「部隊全体」と、「家族はじめ一族」が何時までも「不名誉な事として」扱われた。


日本は「国際間の戦争での各種取り決め」ている「ジュネーブ条約」で、条約一部に軍部の反対論が根強くあって「全面的批准」には至らなかったのだ。