「自決」の強制


捜索第23連隊長井置中佐「自決」、第8国境守備隊長長谷部中佐「自決」、歩兵64連隊長山県大佐「孤立自決」、歩兵62連隊長酒井大佐負傷後送のち「自決」、歩兵第71連隊隊長岡本大佐入院中「斬殺」さる。


「自決」の多いのに気付くこれは、「自決」を強いたのは、この「ノモンハン事件」で精神主義が強調され、辻参謀の「戦争は指導者の意思と意思の戦いである、意志の強い方が勝つ」この考えが日本軍指導層に定着したからだ。


前記酒井大佐の事例のように、事件後の審問で戦闘指揮の結果責任を追及され、取調憲兵から「拳銃を目の前に置いて外室」されて、「自発的自決」を迫られた。


23連隊長(井置中佐)の場合も、ソ連軍の猛攻を前にして、ここで「あたら部下を犬死させる」よりも「再起を計ろう」として「転進」させたことが問われ、「自決」を迫られたケースである。これら数々の事例には慟哭を禁じえない。


更に最も悲惨だったのは戦闘中負傷して「敵側の俘虜」となったケースである、戦陣訓「生きて虜囚の身となるなかれ」が日本軍の「最大の掟」となっていたからである。その悲惨な事例は明日見ることとする。



(写真は横浜・ランドタワービル展望階より)