日本軍の原型「ノモンハン事件」

okamakoto2005-10-25



日露戦争の大勝が、後の日本の敗北に繋がった」事は、昨日記した事ところである、ところで、日本軍の敗因の原型は昭和14年の「ノモンハン事件」にくっきりと芽生えていた。


昭和14年(1939年)5月―9月までの「ノモンハン事件」が起きるまでにも、中国北部(満州)とロシア国境地帯では度々紛争が頻発していたが、「ノモンハン事件」はその中でも最大規模の本格的地上戦となった。


既に、「ロシア」は、日露戦争敗北が引き金となり1917年のロシア革命で帝政は亡び、「ソ連邦」となっていて、数次の5カ年計画でソ連軍は軍の装備もすっかり近代化され機械化されていた。


一方、日本は第一次大戦のも実戦経験がないまま、装備は「日露戦争」の延長で、機械化にはほど遠く、この事件が戦車・飛行機を交えての初めての本格的な近代戦となった。


この戦役でも地上戦闘では殆ど日本側は肉弾戦思考で、ソ連軍の優秀な戦車や砲兵火力により悲惨な戦闘を強いられ、壊滅的打撃を受けた。


ノモンハン事件での日本軍の死傷者17,405人に対し、ソ連軍の死傷者も25,565人に上る大激戦であった。