紅葉の憂い

okamakoto2005-10-31



十月も今日で終わる、この一カ月は公私にわたって「多事多難」な事があって一入り重苦しい思いをしてきた。


何よりも妹が逝った事は気分的にこたえた、日頃は余り考えなかったが、この機会に自分自身も色々思案しておかねば、と思ったのも確かだ。


それにしても、この国が刻々と「良い方向」にではなく、逆に「悪い方向」に向いているのがとても気に掛る。これが自分の単なる「とり越し苦労」なのなら良いがと思っている。


小泉さんが今日「内閣改造」をするとの事だが、然しこの頃、この国の政治ニュースは見るのも聞くのも嫌になっている、「見ざる聞かざる」の心境になっている。


総選挙以降、今の政治には絶望感のようなものを抱いているからかもしれない、人間はどこかで「嫌な事は避けて通りたい」心理があるからだろうが。


それにしても何時からどうしてこの国は今のように「おかしな国」になってしまったのだろうと考えつつ、明治以降の歴史を改めて振り返ってみている。


そこで感じたのは、今まで「明治」「大正」は遠い昔の事のように思っていたが、考えてみたら「日露戦争」から、たかだか百年、「ノモンハン事件」から数十年(66年)しか経っていない、これらは「ついこの間の出来事」だったのだ。


この事から考えて、今の若い人達にとって「昭和中期」の事は既に「過去」の事になりつつあるとすると、「彼等を責める事は出来ない」と実感しているのだ。


言い訳に違いないのだが、我々昭和一桁時代も「銃剣術」と「勤労奉仕」で、学校では「歴史教育」も殆どやらなかった。だから「過去」については不勉強で無知なのだ。


今の若い世代の人々は余り歴史―特に日本の「近代史」―は学んでいないと聞く。それは「大学入試の問題に出ない」からだと言うが、多分に政治的、恣意的要素があるのでは、と危惧している。


それだけに「貧者の一燈」だが、70余年の過去と、末永い未来を見据えて、現状に欠けるものありせば、率直に直言して参りたと思っている。


この日記も、書き始めてから兎も角10ヶ月を経過した、未熟なものだが出来得る限り継続していきたい。



(写真は横浜・上から見た港風景)