エスカレートする「政治の残虐性」


何故なら、「血の味」を覚えた大衆は、それを機に、政治に、「より以上の残虐性」を求め、「殺すか」「殺されるか」の劇場化・過激化のドラマを希求するようになるものだ、と言う。


その結果、政治手法そのものが「刺す」か「刺されるか」手法になってしまって、結果的にはかっては自分が擁立した「刺客チィルドレン」達に不信任案を突きつけられ、首相自身がトップの座から引き摺り下ろされた。


このような劇場型「ポピュリズム政治」の危険性への認識はヨーロッパでは広く一般的に知れ亘っていて、近年のヨーロッパでは「政治が邪道に陥らないよう」に、そうならない為の方策を常に議論し合っているのだそうである。


日本の場合、先回の政局で小泉さんが筋書きを書き、演出したと受け止められているが、案外演劇好きの彼がロンドン遊学の際に見知ったか、或いはあらかじめ筋書きを誰かから教わったのかもしれない。


小泉さんにしてみれば、既に「必殺小泉劇場」の「山場」は終わり、後半は「ブーメラン」の如く己に「刃」が向う事をいち早く察知して、早々と舞台から観客席に移り、「特等席」で観劇するつもりなのかもしれない。


そして、来年の今頃は、さっさと引退してどこかの山荘で薄笑いを浮かべつつ、悠々と「小泉チィルドレン」の出方を眺めるつもりなのかもしれない。



(写真は黄昏の東京・銀座風景を京橋方面より眺める)