転勤族


名古屋の後、2ヶ店を経て再度の東京勤務となった。銀行勤めでは、異動発令後大体一週間以内に赴任せねばならない。


赴任は家族同行が決まりである、従って遠隔地への赴任は本人よりも家族の慌しさは格別なのだが、その方は殆どが女房任せで来た。


引越荷物の函詰め・荷造りもそうだが、「子供の転校手続も大変だった」と、最近の妻は振り返って言う。


子供達に「親の転勤で、方々に友達が出来て良いではないか」と言って猛反発された事もあった。折角の友達と分かれる辛さ」と、「真の友達が出来ない」と言うのだ。


それに何よりも、当時も、この後も今日までも、妻子には言葉に尽くせぬ苦労を掛け続けて来ているのである。


振り返って、然し、確かな事は、幾度も泣かされて来たに違いない妻が、実は「耐えに耐え」て、少なくとも「姑である母」には、一度として「逆らったり」「いさかい」はしなかった事である。



(写真は雪の金沢・兼六公園・池越えの「雪吊り」風景)