新居の母

okamakoto2006-02-06



田舎の旧い家からT市に移った母は、幸いその地区が市の開発地区で、発展途上だった事もあり、近隣の方もお互いが親切で、母も溶け込んで満足げにしてくれた。


庭に、狭いながらも野菜畑を設けたので、母は菜園を愉しみ、手作りで胡瓜・トマト・ナス等を育て、近隣にも差し上げて喜ばれていた。


旧家の整理が一段落した段階で自分達夫婦子供達も移り住み、母と生活を共にしていたが、一年も経たない時点で転勤となった。


38豪雪」(さんぱちごうせつ)の当時、名古屋に勤務した、この街も都会的なものと田舎的なものが共存していて、実に魅力的であり、妻子も直ぐこの街に溶け込んだようだ。


太平洋岸は、日本海側とは対照的に冬も晴天日が多い、真冬の晴れた或る日、母から「家が潰れる、直ぐ屋根雪下ろしに来てくれ」と悲鳴の電話が入ってきた。


妻も「母がそのような頼みをされるのは余程の事、行ってあげて」と言うが、何分にも実感が湧かない、第一鉄道も寸断状況で殆ど不通の状況下にあった。


「そのうち春になったら雪も融けるよ、我慢してくれ」と言った途端、母をえらく怒らせたのが、ついこの間の事のように思い出される。


あの年、裏日本は1ヶ月余りも毎日・毎日降雪が止まらなかったそうだ、近所の人達も自宅だけでなく勤め先の社屋・工場等の雪下ろしに忙殺され、肝心の本業も手につかなかった、と聞く。