「モノには魂がある」


その日も勤め先の仕事が遅くなり、帰宅は深夜、月明かりで四囲をうっすら浮かび上がらせていた晩秋の夜であった。


妻と子達が待つ家路を急ぎつつ、何時ものように家を目の前にして歩を進めていた時の事である。一角の明かりの点いた部屋が妻子の待つ部屋であった。


歩を進めるにつれ、暗がりの視界から異様な光景が拡がって来た、それは長年住み慣れた我が家だが、二つの「巨大な目の玉」のように白壁の中央が映った。


更に、庭の右側には、曳いて移動する最中の土蔵が既に十間余りも家から離れて移動の途上にあった。それは買ってくれた方が何日か掛け運んでいるものだった。


土蔵には入り口に丸い鍵穴の付いた2つの円盤が取り付けられていたのだが、それが「大きな目玉」に見えた、それも薄暗い中で「きっ」と自分を睨んでいる、と感じた。


一陣のそよ風に庭の笹の葉が「サラサラ」と音をたて、庭の木々もゆれて来たように感じた。思わず「ギヨッ」として一瞬立ちすくんでしまった。


その瞬間、「何代かの祖先」が怒っていると直感した、何食わぬ顔で帰宅したものの、何時ものように、妻は食事もせずに待って居てくれた。


然し、自分はその日以来、「モノには魂がある」と確信しているのである。



(写真は金沢・兼六公園風景)