「キャロル」の思い出

okamakoto2006-02-22



独立前後を通じて、実に多くの方々のお力添えを頂いた、今回その中で銀行時代の先輩である三人のKさんの事を記したい。仮にKAさん、KBさん、KZさんと称させて頂く。


銀座で事務所を持っての創業間もなくの事、妻が一人で事務所で留守を守っていた時に、お祝いに「柱時計」をお持ちになってひょっこり訪ねて来られたのがKBさんだった。


何時ものように外を飛び回っていて留守中のことだが20分程、妻に独立後の最近の状況を聞いてお帰りになったとの事であった。


KBさんは、都内に新設された銀行支店の開設準備委員長(支店長)で赴任早々であった。その地域は秋葉原にも近く貴金属商も多く将来性を見込まれた地域であった。


KBさんは京都大学を1番か2番で卒業されたと聞いている優秀な方で、名古屋勤務当時の次長であった。日頃は温厚で口数も少ないのだが、一旦仕事となると実に厳しい方であった。


名古屋勤務の際、自分は外回りで得意先係の一員、軽四輪で毎日市内得意先開拓に市内を飛び回っていた、KB次長には時折り気安く新規取引先には同道願ったりしていた。


そのうち「月に一度だが、新舞子まで行ってくれるか」、とKBさんに聞かれ、勿論お引き受けした、そこは知多半島にあり、支店からは、ほぼ半日がかりになる処だった。


後で知るのだが、そこには確か病院を経営するKBさんの親戚があって、纏まった預金と毎月の月掛け預金をして頂いていた。勿論KBさんの顔を立ててのものだ。


それ以降、毎月「キャロル」と言う小さい車の運転席の横に座ったKBさんと話すのが自分の楽しみとなった、尤も「話す」と言っても自分が勝手に一方的に喋っていたのだが。


KBさんは「フン、フン」と聞いておられた、実に「聞き上手」であった、ややあって「ところでこの前話したあれはその後どうした」と、お聞きになる。


すっかりこちらが話した内容も忘れてしまっていた事でも、聞き返して続きを話さざるを得なくなった事も一再ではなかった。