「助け船」

okamakoto2006-02-24



KAさんはある会社建て直しのため銀行からの「出向」で、パルプ会社常務の職にあった、本社が銀座で会社が近かったので時折気晴らしにお邪魔していた。


KAさんとは独身時代、都内支店が急に3―4店舗増えて、寮も二人相部屋になった際に一緒に寝起きを共にした仲だった。東大卒で優秀な方ながら実に気さくな方だった。、


自分が独立して、その時も気楽に会社へ立ち寄った時の事、何かの弾みに本社―工場間の「逓送」の事を伺った。北陸の工場との毎日の相互郵便物が多く、速達にしても翌々日になり困っている、と言う事だった。


未だ宅配便やヤマト運輸等が出る15年も前のことである、自分はそれを引き受けることを考えた、勿論一社では商売にはならない、北陸に本社があり、東京に支社・出張所のある会社も多い。


それらを引き受け商売にしようと思った、問題はその間の鉄道輸送だった、そこで当時の国鉄OBを使う事を考えたのだ。定年後の3―4人で組めば大丈夫だろう、と。


幸いに北陸T市には我が家がある。T市と銀座を結めばよいのだ、国鉄OBなら「無料パス」を持っている筈だ。妻の同級生で国鉄現役がいると聞いたのでその方は妻に渡りを頼んだ。


一方、銀色のジュラルミンのトランクを二つ買い込んで、表面には東京―T市の矢印まで書き込んで事務所で構想を練っていた。


然し結局この方は頓挫してしまった、主に人材の面でそう簡単には行かなかった。国鉄OBが就業規則を気にされたのが主因である、自分はこの仕事は結局、地元のT運輸に持ち込み、その会社と直接やってもらう事にした。