事務所と電話

okamakoto2006-02-16



実は、銀行を辞める決心をした時、何をやるか「おぼろげながら」考えていた。何れにしても、それには先ず創業の「場所」と「電話」が大事だと考えていた。


最初は、家賃も要らない自宅で電話を引いてやる積りであった、然し次第に気が変ってきた。それは朝の出勤時間が近づくと次第に気持が「滅入り」、「これでは駄目だ」と感じたからだ。


永年のサラリーマン生活の習性と云うのか、身体の方が「じっ」としているのに耐えられなくなるのだ、今頃は「出勤する時間」だ、「今は朝礼の時間」だぞ、等々。


これではとても自身、耐えられそうにもない、気持も滅入るだろうし、惨めにもなるだろう、第一、傍にいる家族までが暗くなってしまうだろう、と思った。


「よし、やるからには東京のど真ん中にしよう」と考えるようになったのだ。何れにしても銀行当時、随分お世話になったお礼と報告だけは先ず「義弟」にしようと出向いた。


妻の妹が嫁しているのは銀座近くの一角で、義弟は「食品製造会社社長」で、先代が京都で創業した事業を東京で暖簾(のれん)分けしてもらい盛業中であった。


銀行を辞めた事は彼は知っていた、妻から妹への電話で既に聞いたのだろう、「事業も大変だぞ」と言った記憶がある、その時、「この付近に小さい事務所がないか」を、と問うた。