東京多摩病院での母


緑に囲まれた広い敷地に小鳥も飛び交う自然環境豊かな老人専門の病院、看護婦さん、それにお願いした付き添いの方が実に誠実な方で、母は、田舎言弁丸出し、童心に還ったようで院内でも人気者だったと聞く。


都の下町から高尾までは片道2時間、成城までも1時間半は掛かったのだが、妻は殆ど毎日病院に通い続けてくれた。母は、妻や家政婦さんに看取られつつ平成3年6月9日、88歳の生涯を穏やかに終えた。


病院での母は、「仏様のような人」だと、周りからも言われ、事実、妻と一緒にいた母は生涯の中で「最も素直で邪心のない」そして「澄んだ目付き」になっていた。


自分は「生涯親不孝者」で、母の死に目にも会えなかったのだが、「この親不孝者に代わって」終始孝養を尽してくれたのが妻であった。


実は、母は他人にも言えないような苦難続きの人生を歩んできていた。然し、東京に引き取ってからの約10年も終始世話を焼いてくれたのが妻であった。自分の親不孝分を補って、尚、余りあるようにさえ感じている。


母の名は「幸」(みゆき)である、たまに上京して来た姉妹も「母は今が生涯で最も幸せ」、と言っていた、自分も、名前のように母は最後は本当に「幸せ」だったと確信している。



(写真は金沢・石川城)