地方へ


印刷の出来上がるのを待ちかねて、それに挨拶状を添え、懇意だったかっての銀行の先輩・同輩等に「取引先へ紹介の依頼状」として郵送する事とした。


宛名書きは一切女房が引き受けてくれた、一方、自分は取る物も取りあえず、杞憂に沈んでいるであろう母や、姉妹夫婦への説明も兼ねリーフレットを持って地元へとんだ。


中央集権化・一極集中化が加速されていく中で、「地方と首都」を埋める役割が必要だと身をもって体験した「転勤経験者」からの新事業だった。


当時は、「地方と東京」は、感覚的に現在の「日本とニューヨーク」程の時間差、距離感があったように思う、地方都市が「日帰り圏」になるのは80年代以降の事ではなかったろうか。


「自分がこれから地方と首都の距離や時間差を越えて地域企業発展の一翼を担わうのだ」、との思いだった。


夜行寝台列車で十時間余も掛けて郷里に向った時、列車の中で、この高揚した気持ちで一夜一睡も出来なかった。


妻と二人で、細々と始めた仕事ながら、この時夢は限りなく広がり続けた。


早いもので、あれから35年も経った。然し、その時の高揚感は「ついこの間の事のように」新鮮に思い出される。