辞表提出


9月末の決算を無事に終えたその翌日、10月1日、懐にして来た頭取宛「退職願」を、支店長に差し出した、


支店長は予期もしなかった様子で、一瞬顔色を変えた、中味を確かめた上で「君も将来のある身だ」「家族の事も考えて見たらどうだ」、「再考し給え」だった。


その上で、「この書面は当分、自分が預かる」「君の翻意するのを待つ」と、云いつつ、机の引出しに仕舞い込んでしまった。


仕事の方は、何食わぬ顔でし続けた、「長く長く」感じたが、10日も経っていたのだろうか、業務上の打合せもあったが、その間支店長は忘れてしまったかように全く触れない。


このまま握りつぶされるかもしれない、と訝(いぶかっ)ていた時に、或る日、定例の打合せが終わてから「ところで先日の件はどうした」と、切り出された。
「気持は変わりません、お願いします」とだけ言う。


実際は昨夜も、妻から「それとなく子供達に話してみたが、家も学校もこれ以上変わりたくない、だった」と、幾度も聞かされていて、正直、たじろぐ気持ちもあった。


然し、「矢は弦(つる)から放たれたのだ」「今更後戻りは出来ないし、又したくもない」と自身に言い聞かせていた。


半月も経った頃だろうか、代表店長と、旧知の重役から電話があり翻意を促されたのだが、「勝手を云って申し訳ありません」と頭を下げるのみであった。


退職を許可されても銀行の規定で「1ヶ月間」は勤務に服さねばならない、いわば「執行猶予期間」である。許可され次第、速やかに社宅から退去せねばならない事も「理の当然の事」であった。



(写真は金沢・兼六園・雪中の茶屋)