救いの神


当時、折角各社からの受注の山を得たのに、S会社もってしても原料の手当がつかなかった、アルミの方はS社幹部の指示で特例的に取り組んで頂いたのだが、基礎の鋳物部材の方はとても間に合わない、と。


その時、力になってくれたのが発注先であるK電鉄のSさんだった、戦友がK市で鋳物工場を経営していてその戦友に頼んでやる、と同行までしてくれた。


さすがにSさんの助力は大きかった、奮迅の努力でS製作所の製造過程に割り込ませていただき、何とか危機的納期遅れも回避できた。


そのS製作所とは、それが機縁となってSさんからの工場用地の取得と、そこを基地として協力会社の輪が拡がり会社飛躍のベースが出来た。


制作過程でも諸々の問題もあったのだが、実際にモノが仕上がって、世の中に新しい商品を送り出し、四囲に光を放つと言う事は実に感動的なものである、それは赤ん坊が育つような歓喜とでも云うのであろうか。


第一号の電照式アルミ標識に灯が入ったのは、会社創立後3年も経った49年も秋に近い頃であった、副都心新宿西口高層ビル前のK電鉄停留所に煌々と灯りが点き、ビル街を照らした。