2005-06-26から1日間の記事一覧

「日本従属」の固定化

その意味でも、当時の日本の政府高官がいみじくも危惧した通り、日米構造協議、及びその後のフォローアップこそは、正に、その後の日本のアメリカ従属を決定的とし、固定化させる歴史的分岐点となる重大なものだった。 (写真は東京・麻布の、豪壮な森の一画…

日本とアジア諸国との離間策

弱体化するアメリカは、経済的にも台頭する中国及びアジア諸国と日本が協力し合って強大な経済圏をつくることをその後も怖れ続けている。アメリカは終始日本と中国及びアジア諸国を離間させる事に戦略の重点を置いているように見える。 前述したように70年代…

挫折した「宮沢構想」

これに、いち早く反発したのがアメリカである、「米国抜きのアジア諸国の結集」こそアメリカの最も恐れる「日本の台頭」「アメリカ離れ」と映った。即刻、火消に走った、日本政府、外務省は「マハティール構想」に「組せず」と、即座に表明したのである。 91…

「東アジア経済圏構想」への反発

同時にアメリカにとって最も強い関心を抱いていたのが、世界第2位の経済力を有する日本、及び周辺アジア地域だったろう事も容易に想像できる所である、もしそれに成功すれば太平洋を挟んでの巨大な経済圏が出来上がり、EU連合にも充分に太刀打ち出来るだろ…

弱体化するアメリカ

一方、アメリカ経済はレーガン政権下で巨額の財政赤字と貿易収支の「双子の赤字」で、85年以降は純債務国に転落していた。このままではドルの基軸通貨としての地位は勿論、単独での世界の盟主としての座は保持し得ない局面であることは誰が見ても明白であっ…

EU統合とアメリカの世界戦略

「日米構造協議」がアメリカ(当時のブッシュ大統領−父)から提起された89年、更には90年代とは、一体世界情勢がどのような時代であったのか、その中で日米両国が置かれた立場はどのようなものであったのだろうか。 ヨーロッパでは90年代にはEC諸国の経済…