挫折した「宮沢構想」


これに、いち早く反発したのがアメリカである、「米国抜きのアジア諸国の結集」こそアメリカの最も恐れる「日本の台頭」「アメリカ離れ」と映った。即刻、火消に走った、日本政府、外務省は「マハティール構想」に「組せず」と、即座に表明したのである。


91年海部後を継いだ宮沢首相は、新たにアメリカを含めた「太平洋経済圏構想」を提起する。然しアメリカは冷やかな反応を示して突き放した。アメリカは何としても自己の世界経済戦略の中に日本を取り込んでおきたい、それを逸脱する事を許さない、の姿勢を鮮明にしたのである。