将来への「杞憂」


「今回の協議は、長い日米の歴史の中で大きな転換点となるかもしれない.つまり、今回の協議で、アメリカ側は日本の予算編成や法改正に対して、逐次発言できる仕組みを手にしたのだ。その事はある意味では日米と言う二大経済大国が、経済面でより一体化して行く流れの中で必然的な結果かもしれない。


然しそれは反面で大変危険な事だ。何故なら、今回のアメリカの要求は、偶然、日本の消費者の利益に合致したが、常にそうだとは限らないのだから・・・・・」(NHK取材班「ドキュメント構造協議」第7章、243Pより)


その政府高官の悪夢のような予感と杞憂は、15年後の「アメリカ一辺倒」の小泉−竹中ラインの中では、より現実味を帯びてきているのである。


では何故アメリカは、あの時期に「日米構造協議」にこだわったのか、その背景と意図については引き続き考えてみたい。



(写真は虎ノ門方面から見た、「アメリカ大使館」)