開戦決定の瞬間

okamakoto2005-03-24



昭和16年11月29日、宮中にて「御前会議」が開かれ、天皇の前で対米戦争が「国家」として正式に決定された。


出席者は歴代総理8名、枢府議長、政府側から大本営政府連絡会議メンバーの首相・陸海軍両大臣・蔵相・外相(東郷)・企画院総裁・参謀総長・海軍司令部総長・内閣書記官長・陸海両軍務局長・外務省東亜局長(アメリカ局長兼務)以上の20名であった。


会議は先ず、東條首相、東郷外相が今までの日米交渉の経緯概要を述べ、質疑応答の形で進められ、陛下から重臣の意見を求められたのに対し、近衛さんから「交渉成立は絶望にせよ、この際、隠忍自重暫く模様を見ることが出来ないか」との発言があり、東條首相の経緯の説明によって、暫し沈黙。


重苦しい空気の中、広田からは「対現地人対策に万全を期すべし」、平沼からは「内部かく乱への警告と米国開戦準備状況」質問、岡田からは「万一戦争になった時は早期決着の必要性を強調」、若槻「一時、不面目でも冒険は避けるべきだ、理想を追うに急で国を滅ぼすに至るなきやを憂う」と。


午後の会議の中で、岡田・若槻・広田・平沼・原さんから夫々に意見の開陳があって、開戦に最後まで反対したのは若槻、岡田両前総理だけだった。
最後に、阿部、林両大将から「政府を信頼して、その善処に任せるより外ない」との発言があって、一同これに同調するより外なかった。


4時過ぎ東條の挨拶あって重臣会議は終わった。かくて「日米開戦が決まった」のである。昭和16年11月29日午後4時、(以上は外務省東亜局長の手記による「重臣会議」の大要である)。後戻りが出来ない日本の運命の瞬間だった。