2005-03-24から1日間の記事一覧

「天を知り地を知れば、勝、乃(すなわ)ち全かる可し」

(時の流れと、変化に対応する者だけが勝ち残れる)(写真は日比谷公園の噴水)

野村吉三郎元駐米大使の人物像

和歌山県出身海軍兵学校卒、海軍大将、米大使館付武官の時ルーズベルトとも親交あり、ワシントン会議では全権委員、上海のテロで右眼を失う、37年現役退役後、学習院院長。駐米大使を及川海軍大臣から「余人に換え難し」、と要請されたが固持し続けた。その…

松岡洋石元外相の人物像

開戦まで対米強硬派で「日独伊三国同盟」推進者、外務大臣だった松岡洋石とは如何なる人物で、どのような考えの持ち主だったのだろうか。 松岡洋右氏は明治26年、13歳の時、移民船で米ポートランドに渡り、家事手伝いや皿洗いをしながら、苦学の末にオレゴン…

日本の政策決定過程の原点

上記の「開戦決定の重臣会議」に、日本の各種政策決定過程の原点が見えるように思える。「軍部」が「官僚」に替わっただけで、この方式は敗戦後の今も、そして現在も、「官僚組織」が原案を作り、「政府」が追認し、「国の政策」となっていく・・・。

開戦決定の瞬間

昭和16年11月29日、宮中にて「御前会議」が開かれ、天皇の前で対米戦争が「国家」として正式に決定された。 出席者は歴代総理8名、枢府議長、政府側から大本営政府連絡会議メンバーの首相・陸海軍両大臣・蔵相・外相(東郷)・企画院総裁・参謀総長・海軍司…