松岡洋石元外相の人物像


開戦まで対米強硬派で「日独伊三国同盟」推進者、外務大臣だった松岡洋石とは如何なる人物で、どのような考えの持ち主だったのだろうか。


松岡洋右氏は明治26年、13歳の時、移民船で米ポートランドに渡り、家事手伝いや皿洗いをしながら、苦学の末にオレゴン大学を「2番の成績」で卒業、明治37年外交官試験に受かり、外相就任までは満鉄総裁を5年間やっていた。


滞米生活の体験から独特の「アメリカ人観」を持っていた。アメリカ人は「力で対抗して行く相手には尊敬を持ち対等に付き合うが、弱みを見せると馬鹿にされる」。従って「強気で押して行けば必ず相手は折れる」、日独伊三国同盟は「その為の手段だ」その確信を持っていたようだ。