ドル急落、円急騰


95年4月には1ドルが79円75銭と、史上最高の円高になるのだが、その間「プラザ合意後3ヶ月」も経たずに200円を切り、2年後の87年2月には150円となるのである。


プラザ合意は、アメリカは基軸通貨ドルの魔術で、日本に対し徳政令の発動を促したと言う事である。端的に言えば80年代の日米間の金利差やドル高を誘因として日本からアメリカに膨大なカネを誘い込み、頃合を見て収奪したと言う事になる。