「冷めた目」


それに、あの昭和初期の戦争時代に、「一億火の玉」と叫んでいた際にも、大正デモクラシー経験者の方で冷めた目で見ていた方があった、と、戦後に聞いた。


人間、奔流の真っただ中で流されている時には無我夢中で、客観的「置かれている現実」と言うのは残念ながら本人達には見え難いかもしれない、と考えるようになった。


であれば、此処はただ一人でも良い、距離を置いたところから若い世代の人へ向って、愚直に引き続き言い続け、警鐘を鳴らしていかねばならないのではあるまいか、と。


それが自分達二世代前「戦争体験者」の役割で、「戦後民主主義」を新鮮な気持ちで受け止めた者の次世代への責任だろうと思い直しているのである。