靖国参拝

okamakoto2005-10-18



とうとう「靖国参拝」と言う小泉氏かねての「私的な公約」を果たした、昨日―17日午前の事だった。


「私服で行った」「30秒間手を合わせただけだ」「昇殿しなかった」「記帳しなかった」「献花もしなかった」「玉ぐし代も払わなかった」、―これって正に「こそ泥」の論理ではないか。


「形だけの参拝」は、反って靖国神社や、祀られている筈の幾百万の戦争犠牲者諸氏の御霊に「失礼千万」の参拝ではないのか。


それ以前に、国民に対して―例え首相の参拝に賛成者でも―、このような姑息な「心のない参拝」は「参拝した内」にも入らないだろう。


一体、首相が靖国に参拝する事で、この日本にどれほどの「益」があったというのか、誰がどれほどの得をしたと言うのか。結局、小泉氏一人の意地を通したと言う「自己満足」しか残らないではないか。


これは全く個人的な「意地」の問題でしかない。そこからは「あまのじゃく」「人の嫌がる事をしたがる」「自己中心男」「稀代の変人」の形容しか出てこない。


むしろ、今回の「姑息さ」は、小泉氏自身余程「後ろ暗さ」があったと推測させるに十分なものだ。それ程迄して行きたかったのであれば「総理を辞め」堂々と胸を張って行ったら良かったのだ。


その方が国民に対しても理解され易かったし、諸外国に対しても言い訳が立っただろう。このままだと様々な弊害と共に、国民の側にも後味の悪さだけが残る。