A級戦犯容疑者の首相

okamakoto2005-11-12



敗戦から6年後の昭和26年9月8日、サンフランシスコで対日講和条約が締結された、既に前年に「朝鮮戦争」も勃発して、東西対立が激しく西側49カ国との「単独講和」だった。


サンフランシスコでの講和条約締結と同時に日本とアメリカの間には「日米安保条約」が締結されて、実質的には日本はアメリカを後ろ盾とした米側陣営として位置づいたのである。


日本は兎も角独立を果たした、新憲法制定で、それ以降日本の主権者は国民となり、国民の総意は議会を通じて総理大臣が担う事となった。


然し、朝鮮戦争という国際情勢の急変があったにしろ、その6年後の昭和32年に、最高権力の座に「A級戦犯容疑者岸信介氏」が返り咲いた事は日本の戦前と戦後のけじめを曖昧なものにしてしまった。