退位したイタリア国王

okamakoto2005-11-14



第二次世界大戦を日本・ドイツと共に戦って真先に連合軍に降参し敗戦したイタリアは、それまで「君主制」をとっていたが敗戦後「共和制」となった。


社会主義国「イタリアの道」とか「サレルノの転換」と称される第二次大戦敗戦後のイタリア・パドリオ国王の戦後史は実に劇的だった。


「日独伊三国同盟」締結から3年後の1943年、時のイタリア政府・パドリオ国王は敵軍の猛攻の前に勝利を諦め英仏連合軍との秘密停戦協定に調印した。


連合国側がイタリアとのこの協定を公表した為に、同盟国であるドイツが「裏切り行為だ」としてナポリ以北を占領し、イタリア国内は激しい「国王退位論」に発展した。


イタリア国内政治は6政党連合で、降伏後の国内政治は政党間の対立で混乱を極めた、これを収拾したのがモスクワ亡命中だった共産党指導者トリアッティだった。


18年ぶりで帰国したトリアッティは、ナポリ演説で「イタリアは今国家存亡の危機にある、何より先ず必要なのは国王退位問題よりも国内諸勢力の統一である、自分も国王とも協力し、国家再建のため協力を惜しまない」と力説した。


トリアッティは「政体選択で争う前に先ずやるべきは国内の団結と国土開放戦に勝ち抜く事」と説得したのである。


彼はソ連に亡命中に、社会主義国家が樹立されるまでには、如何に多くの犠牲が払われねばならないかを熟知していたと言われる。