親族会議


或る日、長姉が「親族の一大事」とばかり、昔からの親戚20人以上も集め、母を同席させて「親族会議」を招集したらしい、代表2−3人で夜遅く帰宅した自分に「反対決議」を突きつけて来た事もあった。


その結果、出席者の親戚一軒一軒を訪ね歩き、頭を下げ、現状を説明して諒解を得るのも自分の日課に加わった。


後日となって、家にあった諸道具は「競り市」を立て、全部処分した。「二束三文」だったが、その時以降、解体中の家は寒々とした光景となった。


実は、それ以前に母には購入契約したばかりの未完成だったがT市に新築中(分譲用)の家に移り住んでもらった、それらは総てT市在住の姉夫妻のお世話であった。


実は当時の勤務地は、T市とは逆方向ではあったが、その間、ただの一日として勤務先は休まなかった事を記憶している。


然し、その折に最も大変だったのは実は妻であったようだ、前後色々とあったり、云われたり、陰口をきかれたりもしたらしい。然し、只の一度として自分や子供達に愚痴を云ったり、昼間の不愉快な事を口にする事はなかった。



(写真は越後湯沢駅北陸線乗り入れ「特急はくたか号」尖頭部)