「眺望」と「日々の生活」


「眺望の良さ」で思い出すのは、或る大手グループ会社の重役だったAさんが十数年前に自宅を横浜市内の眺めの良い高台に引っ越され、お招きを得てお伺いした時の事を想起する。


坂を登り切ったそこからは、横浜市内、外国船が出入りする横浜港、ベイブリッジが一望できる実に素晴らしい立地だった、夜の眺めが「百万ドルの眺望」と、ご本人奥様共にご満足げな風情だった。


ところがその後、年賀状でご住所移転のお知らせを頂いた、ご無沙汰のお詫び兼ねお電話したら、「毎日の買い物で女房が家までの坂の昇り降りにすっかり悲鳴を上げ、止む無く新駅に隣接したマンションに引っ越したのですよ」


「前の家を手放したら半値でしたよ」、と苦笑されていた、「人間の感激性は所詮一過性だ」と仰ったNさんのお言葉と、夢を追いかけて来た自分自身の生き様を振り返りつつ、「人生」に想いを致している。


人間と言うのは、坂を登るように、常に夢や希望を持たないと生きられないものなのだろう、だから多分上を向いて歩き続けるし、夢や希望を無くしたら生き甲斐もないし、進歩もなくなるのだろう。


かといって、毎日の生活と言うのは実に現実的なものの連鎖である。特に老いると言うのは人間にとって避けられない宿命なのなのだろう、と、この頃しみじみ思う。


柔和なNさんからは何時も,何処か人生を透徹されているようなものが伝わってくるのである。そのNさんから過日ご自身で吹きこまれたピアノとオカリナの素晴らしいCDを頂戴した。


一時間余りの演奏曲には、バッハやショパン、日本古来からの名曲が24−25曲も収納されていて、毎晩その素晴らしい名演奏の癒しの曲を拝聴しながら、何時のまにか夢路に就いているこの頃である。



(写真は東京・港区、運河周辺)