「日本の過去」


一昨日「12月8日」は昭和一桁生れの自分達には忘れることの出来ない日であった、今から65年前、昭和16年12月8日世界を相手に日本が戦争に打って出た日である、当時自分は未だ10歳であった。


戦時中、「鬼畜米英」と見えざるアメリカに向け小・中学生の身で拳を振り上げ敵愾心をたぎらせ、「欲しがりません勝つまでは」と、当時、すっかり「軍国少年の一人」となっていた。


4年後、「昭和20年8月15日」、遂に敗戦し、子供心に最初の「どん底の挫折感」を味わい、その後アメリカに占領されてからは「民主主義」にも目覚め、社会に出てからは次第に世の中も判るようになって来たように思う。


振り返り、日本の近代史をひもとくに、今を去る420年前、ペリーが浦賀に来航(1583年)したのを機に、日本は「長い太平の眠り」から覚め、先を走る欧米大国と肩を並べるべく、一目散に「近代国家」を目指し突っ走って来た。


明治維新(1868年)後、日露戦争(1904年)までの36年間は「富国強兵」が国民の合言葉、「刻苦勉励」し、兎も角「世界の大国ロシア」を相手に「一戦を交える」までになった。


日露戦争に勝利したのは、「己を知り敵をも知る」トップ「明治天皇・指導者」の叡智と、国民の総力を結集した結果であった、幸いにして「天・地・人」にも恵まれた。


昭和の日本は、「過去の勝利」を「日本の実力」と過信し、アメリカ、及び世界を相手に一戦交える事となった、これは、何と日露戦争後、僅かに41年を経ただけの過ちであった。


最近になって、1945年の太平洋戦争そのものは、アメリカから仕掛けられた謀略らしいことが判明している。「ロバート・ステイネット」著「真珠湾の真実」等による。


アメリカは既に大正時代に「対日戦争不可避」、「日本打倒作戦」を建てていたと言う。それにしても「日米戦争」は、緒戦の勝利幻惑されて、「短期決戦」ー「講和」への機会を逸してしまった。