平成の「独裁政治」


この数年を見ると、昭和の初期に似ている、差別化で「勝ち組」「負け組」で競わせ、愛国心を煽り、徒に隣国相手に敵視政策を採り、デモクラシーは影をひそめてしまった。


長年続いた「自民党政治」は腐敗と汚職にまみれ、政界は二三世代議士で占められ人材払底し、遂に「変人」小泉純一郎の登場となる、変人に政治を託するに至る。


「変人宰相小泉氏」は「自民党をぶっ潰す」、「政治は権力闘争の場だ」、と「公言」し、政治世界を「敵」「味方」に分断し、「政敵を抹殺」し、神聖なるべき政治を「子供のけんかの場」のようにおとしめた。


政策に異議を唱える同志に刺客を送り込み、言論を封じ込めた、おまけに権力にモノ言わせて言論機関を黙らせ、権力維持のため、改革の名のもとに「郵政民営化を錦の御旗に「善」と「悪」、「勝ち組」負け組」を峻別する愚行を強行した。


これは戦前の「翼賛政治」そのものだ、批判精神がバックボーンである筈のジャーナリズムが逐次屈服して権力の伝達機関に成り下がっているのも「翼賛時代」を想起させる。


ここまで変人小泉氏を持ち上げたのは、自民党一党独裁体制下、戦後一時期芽生えかけた「民主主義」が息絶えたからだ、最近の日本の政治はより危険な阿部右翼に引き継がれ「憲法」がないがしろにされ、日々独裁制を強めている。


政権交代がなく、政治が「家業」となり、政治家の質が低下し、政治に哲学がなくなったからだろう。小泉―安倍政治のもとで日本は一目散に「アメリカナイズ」し、「自由放任競争社会こそ最良」と、突き進んでいる。


アメリカで洗脳された竹中平蔵氏がアメリカの尖兵として送り込まれ、金貸し業から規制緩和委員会議長に座った宮内氏が旗振り役となって、日本を全く「ノーズロ状態」にしてしまった。


以前にも記したが、チトー時代に統一を保っていたユーゴスラビアが崩壊する現場に居たオシム監督の『ジャーナリズムは戦争を始める事ができる、意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから』の重い言葉をしみじみと思い出させられる。