トルコ紀行記 (1)貧富の格差「天」と「地」の国

okamakoto2005-01-02

写真はトルコ紙幣(上百万リラ=約70円、下50万リラ=約35円)


今回トルコへ行って先ず驚いたのは、この国のお札の桁の大きさであった。イスタンブールの空港について先ず空港内の銀行窓口で日本円をトルコリラに両替する。1万円を出して窓口から返って来たお札に度肝を抜かれてしまった。 20、000,000・10、000、000・5,000,000・1,000,000・500,000のお札が何枚か入れ混ぜて合計で何と、1億3000万に近いリラのお札が差し出されたのである。この後、この国にいる10日間、この「高額のお札」と付き合うことになるのだが、何とも大きい桁だけに日本円との換算で最後まで苦労を強いられてしまう。

 
お昼にちょっと飲み物をと注文しようとすると、「グラスワイン1杯が600万」「グラスビールが400万」、「ワインボトル1本が1200万リラ」、トルコの日常的お茶「チャイ一杯が200万」と言われても正直なところピンとこない。尤も、「100万リラが大体70円」と聞くと「最後の5桁のゼロをはずして7掛けすればいい、となるのだがその感覚が何とか身についた時分には日本に帰る時であった。それでさえも近年になって大分落ち着いたのだそうだが、ここ2-3年前までは年率100%-200%近いインフレが続いてきたのだと言う、年に2-3倍と言う事である。トルコには、その日のパンも買えない多くの人がいる半面で資産家は超豪勢な生活をしていて、世界の富豪ランクに実にこの国からは40人もの人が入っている、と言う。例えば金角湾を一望するイスタンブール新市街の高台には世界有数の資産家の仲間入りをする人たちの住む豪壮で広大な豪邸があるが、その一方でこの国のあちこちにはバラック建てのスラム街もある。何故そうなるかと言うと、インフレ時には一部の資産家は国外に資金を逃避させ、有利な資産に投資するか、さもなくば現物資材等で手持ちしてインフレヘッジする。


が、運用する資産もない一般大衆は給料はインフレの後追いでしかないし、貯金は目減りして紙くず同然、毎日の食料品・家賃等生活に追われ暴騰するインフレ(貨幣価値の暴落)にはとても追いついていけなくなるからだ。生産業者や商人はこの先値上がりすれば「労せずして儲けが転がり込んでくるのだから「現物財」でストックし、だから益々品薄となってインフレが昂進する「悪循環に陥る」のである。その間銀行によっては「300%の利子を払います」と店頭に張り紙したところもあったと聞く。 中間層は殆どいない「極端なひょうたん型」の階層社会となったのである。 各地観光地には行く先々で絵葉書や土地のみやげ物を売る人たちがしつこくまとわりつく、我々が旅行中に小学生とおぼしき少年達から「お金頂戴」と近寄られたことが何度もある。長い年月、ほとんど毎日のように貨幣価値が低下し、この国は貧富の格差が天と地の開きになってしまったのだ。



処で話は変わるのだが、自分が最初に行った外国が北欧スウエ−デンだった。
今から四半世紀(25年)前の1980年5月の事だ。ある国際会議で随行したのだが、当時日本は「80年代高度成長期」の真っ最中で自分達は「スウエーデン病になったら駄目」「イギリス病になってはならぬ」と、しきりに政界・財界から叱咤激励されていた。自分達も正にそのように信じて疑わず行動していたのも事実だ。日本が1945年に敗戦で焦土と化してから、「何とか国民が毎日飢えずに食べられるように」を目標として「働き蜂軍団」となり、不眠不休で「働き尽くめ」でやって来たように思う。その結果として敗戦後20年余で経済力ではGDPでアメリカに次いで世界二位となった(1968年)。然し、敗戦後60年経って、今日の現実の日本の実態はどのようになっているのであろうか。確かに一部大企業は高利益を上げてはいるが、これも近年の大規模な人員削減、「リストラ」に負う所が大である、まして経済面だけが総てではない、国家財政は1000兆円に近い借財を抱え破綻状況と言って良い。今問題の社会保障や社会資本に至っては置き去りとなり脆弱と言って良いのではあるまいか。最も愁うべきことは、道徳の範たるべき政治家が汚職で汚れ国民からの信を失い、世界一優秀と言われてきた行政官までもが国家目標を見失ってしまっているように見える。


自分はかねて「何れは行きたい」と思っていたそのスエーデンへ,念願かなって、昨年5月に再訪することが出来た。実は、単なる郷愁や「外国崇拝」で「スウエーデン」に行こうと考えたのではない。先日書いた事だが従前から「日本を見るには外から見ればよく判る」と思っていたからだ。以前、四半世紀前に訪問した時は「省エネルギー」が主題の会議だったが、当時既に同国が目指している「揺りかごから墓場まで」の福祉現場等には、驚くと共にとても日本は「そこまでは無理」と言う感じを持ったものである。今回は10日間の「北欧4カ国観光の旅」で、肝心のスウェ−デンはごく短時間だったが、然しガイドさんにも恵まれて、同時に北欧各国夫々が国家目標を同一にそのレベルで競い合っている様子が各国夫々に実感出来て自分なりに大変有意義であった。一言で言えば、これらの国は「国民の立場に立った政治・行政」を行っていると言うことだ。特に「社会的弱者」への視点と「民主主義」の徹底度は確実に前進している。


勿論、「スウエーデンが何でもベスト」だと言っているのではない。日本は日本の良い所もある、然し彼の国から学び日本でも早急に改良しなければならない点、採り入れねばならないところも多いと感じている。ノーベル賞授賞式となっている「ストックホルム市議会庁舎」で、郷里を同じにする田中耕一氏が受賞の場に立ち、感慨を新にした所である。