トルコ紀行(3)地勢の概略①

okamakoto2005-01-04


(写真はイスタンブールの夜景とアンから郊外羊飼い風景)
昨日も記したがトルコの面積は約日本の倍、そこに6700万人が住んでいる。どの書物でもこの国は「中東の一国」として括られているが、地勢的に見てこの国は狭い海峡を挟んでヨーロッパにはイスタンブール市の一部僅か3%が所属しているだけ。残りの大部分97%はアジア大陸の西端部分、中東とアジア・旧ソ連圏アジア大陸グルジアと陸続きである。黒海をはさんで北側に「大国ロシア」が控え、東側は歴史的にシルクロードを通って中国に通じ、南側には「中東の火薬庫」シリア、イラク、イランと国境を接し、西側は何度も戦ったギリシャブルガリアとも地続き、地中海をはさんでアフリカ大陸が横たわっている。「大陸間の接点」・「戦略的要衝」とも言え、又「文明のモザイクの国」でもある。従ってこの国の歴史を見ると「攻められたり」「攻めたり」、オスマントルコ帝国として「勝った歴史」もあれば「負けた歴史」もあるが、世界史的には常に戦争している「好戦国」の印象が強いように思う。


宗教的には99%がイスラム教信者で、国の到るところに「モスク」があって、今回の旅行中も朝早く「コーラン」の祈りの拡声器の声に目を覚まされるのが常であった。イスラム教には「平和」「従順」「服従」の意味があるそうで、教義自体は自分なりの解釈では基本は「人間本能を自己抑制する禁欲的自制の教え」だと感じている。然しあまり教義を厳格に解釈すると(どの宗教もそうなのだろうが)窮屈で最終的には排他的になってしまうものだろう。従ってイスラム教の中でも時代と共に、柔軟に解釈し対応する派が出てきたようだ。トルコの場合穏健な「スンニ派」に属し、日常生活では実に柔軟性を発揮している。


地勢的条件もあって各民族との融合・混血が進み最も柔軟にならざるを得なかったのではあるまいか。民族も67もあり(内クルド人が45%)都市部では西洋的風習も取り入れ、女性も堂々と社会生活に溶け込み、男性も酒をたしなむ人もあってユーモアもたっぷり、モスクの中にキリスト像を併置する例さえ見られた。イスラム教でも最も教義に厳格なのは主にイラン・イラクに見られる「シーア派」で、「ラマダン期間」に入ると、10日間の断食を励行している。女子は布を被って「他人には目以外は露出してはいけない」の戒律を守り、勿論男子も酒・タバコはご法度である。(写真は羊の移動風景)


「9・11事件以降」、偶々主犯と目される「オサマ・ビン・ラデン」のせいで世界的にイスラム教信者全体にあらぬ疑いの目が向けられ、謂われもなく教徒は肩身の狭い思いを余儀なくされているが、世界にはインドネシア・マレーシア・ヒリッピン等アジア・中東各地主体にイスラム教徒は全世界の約20%に当る、実に13億人も存在する。