暗くなってしまった日本人−①

okamakoto2005-01-08

実は、先般トルコからの帰国時に気付いたことがある。成田から京成特急電車で日暮里、更にJR山手線に乗り換えて品川までの約2時間、何故か昼間の最も混む時間帯なのにほぼ満員の車内は話し声も聞こえず静かで、時折のホームや電車の拡声音だけ、乗客も電車が止まるたびに「黙々」と降り乗りするだけ一様に下を向き黙り込んでいて喋りもしない。自分の目的の駅に着くとおもむろに席を立って降りていく、乗る方もそうだ、ドアが開いたら乗り込んで席が空いていたらそこへ座るだけ。まるで無声映画を見ているようなのだ。隣の人に「済みません」「有難う」そのような会話も全くない無機質な「どんよりとした空気」が淀んでいる。その時、思わず「アッ、日本は死んでいる」と、感じた。

 
そういえば以前にも何度かの帰国時に決まってそのように感じたものだった。「日本は死んでいる」、そう感じたのは何故なのか、そうしてそれは果たして自分だけがその時だけ特別に感じた事なのだろうか。ついさっきまで、ユーモアたっぷりの愉快なトルコ人と「掛け合い漫才」のような会話をしていたし、先回はゆったりと会話を楽しんでいる北欧の老夫婦を垣間見て微笑ましく思っていた直後だったからか。

 
日本人がどうしてこうも陰気で「口を開ければ損をする」とでも言いたげな表情なのだろうか。 隣同士で言葉を掛け、譲り合うと言う気配もないのはどうしてなのだろうか、何時からこんな寒々とした人間関係となってしまったのだろう。「お互いに関わり合うのがいやなのよ」妻は自分の気持ちを察してか、そう「さらり」と言ってのける。そう言えば今度の旅行でも一緒のツアーで行った30人余、お互い同じ飛行機で出掛け・同じバスに乗り、同じホテルに泊まり、同じ行動をしていながらお互いが自分の連れ(夫婦・姉妹・友人)とだけ行動を共にし、会話し、名前も告げず、聞きもせず、他の人には干渉もせず、干渉もされず、成田に着いたら、「ハイさようなら」の状態。(尤も、何人か同年輩同士でメールの交換を約した方もあったが)
 
以前に「ツアー旅行」の際、添乗員に「お互い名前ぐらい名乗り合わせたらどうなのですか」と聞いた事があった。それに対する答えが「会社でそれは厳しく止められているんです」と。「何故でしょう」と言った時に「お客さん同士トラブルになってはまずいんですよ、だから名前も知られないよう気をつけているのです」だった。

(写真はトルコ・アンから東南部夕刻の丘陵)