テレビ―英国BBCのこと−②

okamakoto2005-01-17

1949年労働党アトリー政府はベバレッジ卿を委員長に、放送の将来を審議する調査委員会、「ベバリッジ委員会」を設け、諮問させる。2年間の討議の末、委員会としては「BBCの独占継続を認める」となったのだが、少数意見「表現手段の独占の脅威は知らぬ間に進行するものだ」、従って「商業放送の開始」とそれらの上に「規制監督機関を設置すべき」との意見も書き加えられた。


次に登場した保守党チャーチル首相は1952年「放送白書」を発表、1954年のテレビ法となった。要約すると品位と不偏不党性保持する商業テレビを監督するITA(Independent TV Authority)の設置である。それによって広告による 商業放送も開始された。1962年「ピルキントン放送調査委員会」報告書発表さる。それには「民放TVの一部番組の低俗さ・公共心の欠如は英国民の知的文化水準の低下となっている」その為の対策を提言。BBC第7代のグリーン会長はTVの大衆化は時代の流れ、との考えから「革命的風刺番組」と称される「TW3」を放送、TV放送界に新風を吹き込んだ。


1974年労働党が選挙で返り咲き、将来の放送のあり方を審議する「アナン委員会」を任命し、3年後のこの委員会報告で商業放送の多様化と、視聴者の苦情審議・裁定する「放送苦情処理委員会」の設置が決まった。1979年選挙で保守党勝利で「鉄の女サッチャー首相」誕生、彼女は大のBBC嫌い、特に1982年勃発した「フオークランド戦争」でBBCが「わが軍」「敵軍」と言わず、「イギリス軍」「アルゼンチン軍」と3人称で放送するのに立腹し、BBCの受信許可料値上げ申請を41%と圧縮し「広告料導入」方向をピーコック委員会に付託した。更に1988年放送白書「90年代の放送ー競争・選択・番組の質」を発表、BBC民営化へ大鉈を振るおうとしたのである。


サッチャーの後を継いだメジャー首相は1992年に続き1994年には「放送白書」で「BBCの将来」を発表している。一方BBC自体も第12代J・パート会長は1993年「選択の拡大」その中で現場に市場原理を取り入れ(プロジューサーチョイス)制度で自己改革に積極的に取り組む事とした。①放送の独創性と質の重視②効率運営③国民への説明責任、この「パート改革」は批判に耐え得る組織に自己改革を誓うものとなった。BBCには12人で構成する「経営委員会」がありこのGovenors こそ国王の任命ながらBBCの最終的経営責任を負う。


又、英国には独特の「受信許可料」があり、TV受信装置を持つと義務が生づる。不払いには罰則があり「収監」もある。(現在不払い率は約5%と推定、低下傾向にある)。現在 BBCにはデジタル化されたTV6波(ニュース専門2、議会・教育・幼児対象・専門知識)他に国外向け「BBCワールド」は187国向け視聴者2億5000万人と言われる。「世界に輸出できる英国が誇れる最高のものはBBC」と言われるほど国民の圧倒的信頼を得ている。この裏付けがあって初めて、成熟した民主主義国の証としてこの「運転免許証と同じ感覚」で「受信許可料」が国民の支持を得ているのだ。