老人福祉に従事する若者達

okamakoto2005-01-19

つい2−3日前の土曜日に、久々にT君が名古屋から訪ねて来てくれた。彼は福祉大学を出て「老人介護の仕事」に就いているのだが、1年に1−2回東京に来ると寄ってくれている、28歳、まだ独身なのだが何れは郷里でこの介護の仕事をライフワークにする、と言っている青年だ。70−80歳の痴呆の老人を看るというのは想像しただけでも大変な仕事だが彼は「この仕事に生きがいを持ってやっている」と言う。自分よりも体重の重いお年寄りをお風呂に入れて流してあげたり、折り紙を一緒に折りながら「それが出来た」と言っては「手を取って喜びを共にし」、その時「自分のやり甲斐」を感じつつ日々を送っているのだと言う。
 

こちらは、何時の間にか、やがては「世話をされる年代」になってしまった訳だが、それだけに面映い気持ちでT君の話を聞いていた。「これからは老人ばかり多くなって、何れは<楢山行き>を選択する時代になるのではないか、もし自分がそのような状況になったら、象のように人の世話にならずにどこかへひっそり消え去り、他人の世話にならずに人生を終えたい」と、つい本音を言う。ところが彼は「老齢の方は今まで十分に働いて来られたのだ、今度は若い自分達の年代がお年寄りのお世話をする番だ、それが当然の事です」と言う。そして、デイホームに来るお年寄りの中には「痴呆」の人も多いのだそうだが、「自分達と話し合っていると不思議と昔のことを思い出してくれて、その生き生きと話す表情を見ていると自分達のやっている仕事の誇りと喜びを感じてしまう」と言うのだ。


T君の話を聞きながら、世間一般が「今時の若者は・・・」と、一方的に厳しい評価をしている風潮があるのに、このような真摯な若者がいる事に感服し、一服の「清涼感」を覚えてしまった。

 
今の日本の老人介護のあり方は、老人を疎外し隔離して、その世話も市場経済の中に埋没させるやり方についても、「もっと高齢者が生きがいを持てるような政策」にせねば、と熱っぽく語るT君であった。 聞けば最近彼のような仕事に就く若い人たちも結構多くなって来ていると言う。私達昭和一桁世代は、一生懸命に働いて「もの造り」をして「国を豊かにする事」が国のためだし、私たち自身も豊かになる道だとひたすら働き尽くめで来た。それだけに、効率主義が体にも心にも染み付いていて「老人は社会のお荷物」「老齢は社会的にマイナス」との思いがどこかにあるように思う。然し彼らから健全でまともなな考え方が出てきているとは全くの新発見であった。