相手の立場で考える ①

okamakoto2005-01-21

「相手の立場にたって考える」と言うのは、言うは易しいが中々難しいことのように思う。心情的に相手を理解する(under-stand)と言ってみても、実際に時と場所を(物理的に)同一にして立っ事が出来ない以上、大変に難しい事ではあるまいか。


例えばこんな事がある。自分も成るべく歩くようにしているのだが、時折自転車に乗る事もあるし、バスや電車を使う事もある。 乗り物に乗っているときには歩いている人のことは無関心―(とまでは言わないまでも)―無理解な場合が多い。

歩いている時、後ろから走ってくる自転車に「チリンチリン」とベルを鳴らされる事がある。「何て失礼な事を」と思いつつも―、実は自分が自転車に乗った時に、「チリンチリン」と無意識にやっている事があるのだ。車を運転し、或いはバスに乗っている時に、時折直前横断する人や車道を走る自転車が接触しそうになって急停車せねばならない事がある。そんな時、運転している人が腹をたて怒る事もある。そのくせ、自分が意識せずに逆の立場になっている事もあるのだ。


電車の場合もそうだ、「開かずの踏切」で長時間、いらいらして待っている辛さはない。最近私鉄の場合「相互乗り入れ」が多くなって、運転間隔も短くなり、且つ車両も長くなった。自分が利用する電鉄でも、時間によっては下り快速・特急・(それに快速特急まである)が発車した直後の1分後に同じ下り急行・普通電車が発車するダイヤさえもある。勿論上りもそれと同じように回数があるのだから、偶々(雨の日が多い)ダイヤの乱れがあると全く悲劇である、遮断機が降りたままで、警報の「チンチン」も何時までも鳴り止まない。
一方、立場を変えて乗客となっていると長時間遮断機の前で待っている人達には気付かず「一刻も早く目的地に着きたい」意識しかないのが普通だろう。まして電車の本社首脳部には「そんな事は知った事ではない」のだろうし。


考えてみると我々は全く意識しないうちに、知らず知らずの内に第三者に迷惑をかけたり不愉快な思いをさせているものかもしれない。そんな事が日常生活の上で多いのではあるまいか。そんな事を書いたのは「無関心」「無意識」と言うのは相対的には「強い立場」である。強い人は「弱い人」「恵まれない」経験をして初めて「相手の立場で考え」「相手の事が理解出来」るのではあるまいか。

一般的人生の事だが「弱者経験者」でない限り、指導者となり上に立つのは難しい事ではなかろうか。さもなければ余程の「人格者」か「想像力の豊かな方でない限り・・・」と思う、のだが。